後輩: 「先輩やっぱり海外とか良く行くんですか?」
先輩: 「当たり前だよ、こないだはイタリアに行っちゃったよ、」
後輩: 「イタリアっすか、ってことは先輩英語もペラペラっすか?」
先輩: 「ペラペラっとほどでもないけどね、まあ日常会話ってとこかな
昔から結構海外旅行いってたからな。」
後輩: 「凄いっすねー、自分もイタリアいきてー、とりあえずパスポート持ちてー」
先輩: 「イタリアにはな青の洞窟っていうすっごく綺麗な洞窟があるんだぞ
こないだはそこに行ったんだけどよ、ヨーロッパは怖いぞ、
洞窟に行く船の代金が俺達アジア人とクロマニオン人と値段が違うんだぜ!」
後輩: 「何すかクロマニオン人って?」
先輩: 「おめーは本当に何もしらねーな!
ヨーロッパの白人たちの事をクロマニオンっていうんだよ!」
後輩: 「まじすか!?そう言えば昔に歴史でその言葉を習った気がするっす!」
先輩: 「周りの日本人観光客は馬鹿だから気がついてなかったけど、
おれは気がついちゃったもんね、やっぱり駄目だよな日本人は海外で
舐められちゃって。」
後輩: 「ってことはやっぱり先輩はクロマニオン価格に値切ったんですか?」
先輩: 「バーカ!そんなカッコ悪いことできるかよ、和だよ和
足並みそろえるのが日本の伝統だろ!」
後輩: 「やっぱ大人っすね!」
先輩: 「まあな、一応俺もグローバルとかめざしてっけど、
ぶっちゃけ俺達はクロマニオン人じゃねえしな、仕方ねえよな」
後輩: 「そうっすね、でもクロマニオンは女が綺麗ですよねー」
先輩: 「そうだよなー、あいつら反則だよなー」
後輩: 「俺もクロマニオンにうまれてきたかったなー」
なんかすべてが少しずつ噛み合ってない二人でした・・・
イタリア人はイタリア語喋ってるし
アングロサクソン21世紀でも存在してるけど
クロマニオン人は4万年ほど前に絶滅してるから恋愛するのは難しいだろうし
歴史で習ったのに現在のことになっちゃってるし
アングロサクソンって酔っぱらって思い出せないんだったら白人って言えば良
かったのにな。
って思いながら2006年の春に六本木のイモ洗い坂のメキシコ料理屋で
この話を盗み聴きしていました。
2012年2月19日日曜日
2012年2月18日土曜日
目的があれば頑張れること
最近ちょくちょく中学校とか高校でバヌアツの活動の講演をさせてもらうの
だけど、その中ではどうしても自分の人生については話すことがあって
僕がよく行ってしまうのは
「やりたいことが見つからないのなら、やりたくないことをやらないように
したらそれが結局は自分のやりたいことなのかも知れないよ」
といういい加減な発言です。
まあ僕は現場の教師ではなくて、外部講師だからそういうことを言っても
許されるのだろうけどね・・・・
僕の場合なら、お勉強は全くできなかったし嫌いだったから体育だけ
やってた、それで体育大学に行って体育の教員免許を取りました。
大学では体育だけだったのでとても楽しかったのだけど、別にそれが
自分のやりたいことだったのかといえば、今はボランティアとかやってるし
大学受験の時にそれほど体育大学を考えていたわけでないんだよね。
ただ高校で3年間アメフトをやっていたから、それを続けたかっただけです。
でもそれで言うと少し矛盾があるんだよね。
勉強は全くしなかったって言っても一応は日本体育大学とはいえ、英語、
国語、体育実技の三科目だからね。
きちんと受験してるじゃん!
ってことになります。
しかも僕は一浪で一般入試、アメフトの推薦とかではないんだよね
現役、浪人で15校くらい大学を受けて、日体大一校しか受かってないのが
自慢です!
ってことは英語と国語勉強してるじゃん!
と言われると思いますが、浪人の時に考えていたのは
「勉強は絶対にしたくない、でもアメフトで日本一になるには大学に
入学しなければならない。ということは今やっている英語と国語は
勉強ではなくてアメフトで日本一になる為の一つの手段なんだ、
ウエイトをしたり、走ったり、戦術を覚えたりするのと同じことで、
これがアメフトで日本一になることに繋がるんだ、勉強だと思わずこれも
アメフトの一つだと思って頑張ろう」
って考えて納得していました。あの時は日本一なんて考えてなかったかも・・・
奇跡的に合格しますが、そこで運を使い果たしたみたいで大学時代は
4年間二軍生活、そこで今度は当時僕を入社させてくた唯一の実業団
の会社すかいらーくに入りました。
入社して新人だった時に洗い場で皿洗いを何時間もさせられた時にも思いました。
大学でて皿洗いしてたら学費を払ってくれた親に申し訳ないけど、
これを我慢すれるから安心してアメフトに集中することができるんだ、
皿洗いもアメフトで日本一になるためにしなければならないことの一つなんだ
って自分を言い聞かせたことがあったのを思い出します。
その後9年間すかいらーくにお世話になったけど、9年間皿だけ
洗っていたわけではないですけどね・・・・
やっぱり好きなことがあれば人間嫌いなこともできるようになるのだと
思います。
だけど、その中ではどうしても自分の人生については話すことがあって
僕がよく行ってしまうのは
「やりたいことが見つからないのなら、やりたくないことをやらないように
したらそれが結局は自分のやりたいことなのかも知れないよ」
といういい加減な発言です。
まあ僕は現場の教師ではなくて、外部講師だからそういうことを言っても
許されるのだろうけどね・・・・
僕の場合なら、お勉強は全くできなかったし嫌いだったから体育だけ
やってた、それで体育大学に行って体育の教員免許を取りました。
大学では体育だけだったのでとても楽しかったのだけど、別にそれが
自分のやりたいことだったのかといえば、今はボランティアとかやってるし
大学受験の時にそれほど体育大学を考えていたわけでないんだよね。
ただ高校で3年間アメフトをやっていたから、それを続けたかっただけです。
でもそれで言うと少し矛盾があるんだよね。
勉強は全くしなかったって言っても一応は日本体育大学とはいえ、英語、
国語、体育実技の三科目だからね。
きちんと受験してるじゃん!
ってことになります。
しかも僕は一浪で一般入試、アメフトの推薦とかではないんだよね
現役、浪人で15校くらい大学を受けて、日体大一校しか受かってないのが
自慢です!
ってことは英語と国語勉強してるじゃん!
と言われると思いますが、浪人の時に考えていたのは
「勉強は絶対にしたくない、でもアメフトで日本一になるには大学に
入学しなければならない。ということは今やっている英語と国語は
勉強ではなくてアメフトで日本一になる為の一つの手段なんだ、
ウエイトをしたり、走ったり、戦術を覚えたりするのと同じことで、
これがアメフトで日本一になることに繋がるんだ、勉強だと思わずこれも
アメフトの一つだと思って頑張ろう」
って考えて納得していました。あの時は日本一なんて考えてなかったかも・・・
奇跡的に合格しますが、そこで運を使い果たしたみたいで大学時代は
4年間二軍生活、そこで今度は当時僕を入社させてくた唯一の実業団
の会社すかいらーくに入りました。
入社して新人だった時に洗い場で皿洗いを何時間もさせられた時にも思いました。
大学でて皿洗いしてたら学費を払ってくれた親に申し訳ないけど、
これを我慢すれるから安心してアメフトに集中することができるんだ、
皿洗いもアメフトで日本一になるためにしなければならないことの一つなんだ
って自分を言い聞かせたことがあったのを思い出します。
その後9年間すかいらーくにお世話になったけど、9年間皿だけ
洗っていたわけではないですけどね・・・・
やっぱり好きなことがあれば人間嫌いなこともできるようになるのだと
思います。
劣等感が人を育てる
前回は好きなことを見つければ頑張れる、
じゃあ好きなことはどうやって見つけるのか?っていうと、
それはやりたくないことをやらなければ自然とやれることだけが残って
それが結果的にはそれが好きなことということになる。
と書いたけど、僕の場合は高校に入った時に全く勉強できなかったので、
生きている理由はスポーツだけだでした。
ようは部活でやっていたアメフトだけが唯一自分がこの世の中でできること
だと思ってたんだよね。
でもあの頃は決して真剣にやりたかったわけではなくて、
単に
「これすらも辞めてしまったら自分には何も残らない、
生きている意味がなくなってしまう」
って思っていたことと、先輩が怖くて辞めさせてもらえなかったのがとても
大きかったというのもあります。
結果的に3年間、それほど前向きにやっていたわけではないけど、
人間何か一つの事を3年間もやっていると、
それなりに次の段階というかもっと高いレベルを見てみたいと思うのだとおもいます。
そこで大学という次の道を思いついたんだよね。
今思えばアメフトはそれほど高校時代にやりたいことではなかった気がします。
単に自分が勉強できない劣等感から続けたところが大きかったです。
もし中学時代にそれなりの成績を収めていて普通に中堅くらいの高校に入れていたら、
部活なんて直ぐに辞めていたと思うんだよね。
ってことは高校時代に持っていた劣等感が僕に3年間アメフトを続けさせてくれた
ということになるのだと思います。
若いころに持っている劣等感は時に必要なのかなー? って今では思います。
じゃあ好きなことはどうやって見つけるのか?っていうと、
それはやりたくないことをやらなければ自然とやれることだけが残って
それが結果的にはそれが好きなことということになる。
と書いたけど、僕の場合は高校に入った時に全く勉強できなかったので、
生きている理由はスポーツだけだでした。
ようは部活でやっていたアメフトだけが唯一自分がこの世の中でできること
だと思ってたんだよね。
でもあの頃は決して真剣にやりたかったわけではなくて、
単に
「これすらも辞めてしまったら自分には何も残らない、
生きている意味がなくなってしまう」
って思っていたことと、先輩が怖くて辞めさせてもらえなかったのがとても
大きかったというのもあります。
結果的に3年間、それほど前向きにやっていたわけではないけど、
人間何か一つの事を3年間もやっていると、
それなりに次の段階というかもっと高いレベルを見てみたいと思うのだとおもいます。
そこで大学という次の道を思いついたんだよね。
今思えばアメフトはそれほど高校時代にやりたいことではなかった気がします。
単に自分が勉強できない劣等感から続けたところが大きかったです。
もし中学時代にそれなりの成績を収めていて普通に中堅くらいの高校に入れていたら、
部活なんて直ぐに辞めていたと思うんだよね。
ってことは高校時代に持っていた劣等感が僕に3年間アメフトを続けさせてくれた
ということになるのだと思います。
若いころに持っている劣等感は時に必要なのかなー? って今では思います。
エミレーツのナイフと原子力発電所の共通点
アンゴラから日本を往復したとき、行きも帰りもエミレーツ航空だった、
アラブの大金持ち航空会社で今後世界で一番になる可能性もある相当影響力
のある航空会社だとおもう。
全席にテレビ画面が付いているし、300本くらいの映画が見放題だし、
日本字幕ももちろんあって、海外の飛行機会社にしては気が利いている。
そして海外の飛行機会社には珍しくCAの方々が美しいという基準で採用
されている気がします。
今は国際線はどこも厳重にボディーチェックされるのはみんな
知っていると思うけど、エミレーツの面白いところは、
搭乗手続きでとても厳重に持ち物検査をするのに
機内食に毎回プラスティックではなくて、
ちゃんとしたステンレスでできた立派なナイフとフォークが出てくるところです。
配られた時にその重量感に少なからずの手ごたえを感じるし、
食事が温かいのに対してナイフとフォークは冷たいところに保管されている
みたいで、ひんやりとした手ごたえがエアコンがきいた機内でひときわ
存在感を示すのね。
絶対にこれをもって搭乗手続きをしたらエックス線がピコピコ鳴って、
「お前相当な挑戦者だな」
という顔をされて没収されること間違いなしなんだけど
それくらい立派なナイフでお肉でもなんでも力を入れて
ドンドン切れてしまいます。
それが機内で配られていることになんとなく違和感あるんだよね、配られた時に
「これ使ってハイジャックできちゃうけど?」
っておもってそういう自分の妄想を抑えるのに大変だったけど、
いま冷静に考えれば僕が一人でナイフをかざして
「今からこの飛行機をハイジャックします!」
っていったらその時食事している周りの乗客もみんなナイフとフォークを持っている
わけだから、みんなが僕をとめようとして、食事用のナイフで大格闘になるのだけど
結局は300人乗りの飛行機なら他の299人の乗客もナイフもってるからあっさり
取り押さえられてしまうな、そういうナイフは一人だけが持っているから
武器になるんだな、って思います、思いとどまって良かったです。
エミレーツがそこまで考えてあのナイフを配っているとは思えないですけどね・・・
話は少しずれるけど、
日本の原発もちょっと似てるところある気がするんだよね。
安全なのかどうか?みたいな論議が絶えないけど、もし核爆弾持ってない国が
日本を攻めようとした時に、原子力発電所に9,11のようなテロ攻撃を
したら日本は原子力で汚染されてしまうよね?だって津波で
あれだけダメージでてしまうのだものね。
ということはイラクが核を持っているかどうか視察しよう、
なんて言ってるアメリカ中心の意見に反対しなかった日本だけど、
飛行機の中で立派なナイフを配ってるエミレーツの人とやってること
同じだよね?
一方ではイラクまで攻め込んでいってものすごく厳しく取り締まってるけど、
他方ではとてもスキのあることを平気でやっていてそれに気がついてない。
核を持っていない国にしてみたら、別に持つ必要はないよね、だって相手国が
すでに原子力がここにありますって公表してるからね。
なんか変だよね?
この二つの矛盾をひとまとめのストーリーにすると
エミレーツの機内で配っているナイフを使ってハイジャックをしてそのまま
原子力発電所に突っ込んだら、何の準備も無しにテロが完成してしまうのが
怖いところだよね。
原子力発電所を賛成か反対かっていうのは偉い人たちが真剣に話し合って
決めていることだからどうこう言うつもりはないのだけれど、僕みたいな
何も難しいこと考えてない人から見るとエミレーツのナイフも原子力発電所
もどちらも便利なんだけど、何か違和感を感じるところもあります。
もしくは飛行機の中のナイフと同じようにすべての国が原子力発電所を配れば
お互いに攻撃しないのかな? そんな一触即発的な思いをしてまで使う電気に
どれだけの便利さがあるのかね? 空想が空想をつくって元がわからなくなって
きたよ。とりあえず今の生活水準のままでも僕は十分幸せだということは
こんな僕でもはっきり断言できます!
アラブの大金持ち航空会社で今後世界で一番になる可能性もある相当影響力
のある航空会社だとおもう。
全席にテレビ画面が付いているし、300本くらいの映画が見放題だし、
日本字幕ももちろんあって、海外の飛行機会社にしては気が利いている。
そして海外の飛行機会社には珍しくCAの方々が美しいという基準で採用
されている気がします。
今は国際線はどこも厳重にボディーチェックされるのはみんな
知っていると思うけど、エミレーツの面白いところは、
搭乗手続きでとても厳重に持ち物検査をするのに
機内食に毎回プラスティックではなくて、
ちゃんとしたステンレスでできた立派なナイフとフォークが出てくるところです。
配られた時にその重量感に少なからずの手ごたえを感じるし、
食事が温かいのに対してナイフとフォークは冷たいところに保管されている
みたいで、ひんやりとした手ごたえがエアコンがきいた機内でひときわ
存在感を示すのね。
絶対にこれをもって搭乗手続きをしたらエックス線がピコピコ鳴って、
「お前相当な挑戦者だな」
という顔をされて没収されること間違いなしなんだけど
それくらい立派なナイフでお肉でもなんでも力を入れて
ドンドン切れてしまいます。
それが機内で配られていることになんとなく違和感あるんだよね、配られた時に
「これ使ってハイジャックできちゃうけど?」
っておもってそういう自分の妄想を抑えるのに大変だったけど、
いま冷静に考えれば僕が一人でナイフをかざして
「今からこの飛行機をハイジャックします!」
っていったらその時食事している周りの乗客もみんなナイフとフォークを持っている
わけだから、みんなが僕をとめようとして、食事用のナイフで大格闘になるのだけど
結局は300人乗りの飛行機なら他の299人の乗客もナイフもってるからあっさり
取り押さえられてしまうな、そういうナイフは一人だけが持っているから
武器になるんだな、って思います、思いとどまって良かったです。
エミレーツがそこまで考えてあのナイフを配っているとは思えないですけどね・・・
話は少しずれるけど、
日本の原発もちょっと似てるところある気がするんだよね。
安全なのかどうか?みたいな論議が絶えないけど、もし核爆弾持ってない国が
日本を攻めようとした時に、原子力発電所に9,11のようなテロ攻撃を
したら日本は原子力で汚染されてしまうよね?だって津波で
あれだけダメージでてしまうのだものね。
ということはイラクが核を持っているかどうか視察しよう、
なんて言ってるアメリカ中心の意見に反対しなかった日本だけど、
飛行機の中で立派なナイフを配ってるエミレーツの人とやってること
同じだよね?
一方ではイラクまで攻め込んでいってものすごく厳しく取り締まってるけど、
他方ではとてもスキのあることを平気でやっていてそれに気がついてない。
核を持っていない国にしてみたら、別に持つ必要はないよね、だって相手国が
すでに原子力がここにありますって公表してるからね。
なんか変だよね?
この二つの矛盾をひとまとめのストーリーにすると
エミレーツの機内で配っているナイフを使ってハイジャックをしてそのまま
原子力発電所に突っ込んだら、何の準備も無しにテロが完成してしまうのが
怖いところだよね。
原子力発電所を賛成か反対かっていうのは偉い人たちが真剣に話し合って
決めていることだからどうこう言うつもりはないのだけれど、僕みたいな
何も難しいこと考えてない人から見るとエミレーツのナイフも原子力発電所
もどちらも便利なんだけど、何か違和感を感じるところもあります。
もしくは飛行機の中のナイフと同じようにすべての国が原子力発電所を配れば
お互いに攻撃しないのかな? そんな一触即発的な思いをしてまで使う電気に
どれだけの便利さがあるのかね? 空想が空想をつくって元がわからなくなって
きたよ。とりあえず今の生活水準のままでも僕は十分幸せだということは
こんな僕でもはっきり断言できます!
2012年2月14日火曜日
自由の意味と「おきて」の大切さ
日本には自由が無い、窮屈だ、もっと自分を試したいという気持ちでバヌアツやアンゴラに行ったけど、そこで感じたことは
「自由を得たいなら、リスクも覚悟しなければならないということ」
バヌアツに派遣される前の研修で、色々な立場のプロが途上国で起こることに対するレクチャーをしてくれる。
衛生に対するレクチャーでは
「現地の人の家の呼ばれて食事をするときは、もし現地の人が手を洗わずに食事の準備をしていたり、まな板が汚れていたり、水が無いので生野菜を洗っていなかった場合は、衛生上断るべきである」
と言われたり、
「現地の足と言われているバイクの2人乗り、3人乗りのタクシーは隊員は乗ってはいけない、時にはドライバーが酔っぱらっていることもあるし過去に事故が多く報告されている」
「現地ではトラックの荷台に人が乗ることが許されているが、あれは振り落とされるので危険である。」
「現地のレストランで出された水は飲んではいけない、必ず下痢をする、しかしコーラなどの加工されている飲み物は安全である、でももしコーラがグラスにつがれていて、その中に氷が入っていた場合、氷は生水からつくられているので、残念ながら飲んではいけない」
などとそれぞれの立場からそれぞれの専門家が連日レクチャーしたあとに異文化理解の教授がきてこう言っていた
「協力隊の隊員としては現地の人と同じものを食べて、同じものを着て、同じ生活をしなくては誰もあなたの事を信頼して一緒に働いてはくれません。どこまで現地に溶け込めるかが信頼を得るには大切なのです」
それぞれの自分の専門分野で真面目に考えた結果がこういう矛盾をになるのだろうし、結局人間は一人一人がとても真面目で良い人だけど、多くの人が組織を構成していて、その人たちの安全を守る為に、過去に起こった事件、事故を繰り返さないようルールを作っていくと今度は禁止事項ばかりで何もできなくなってしまう。
結局は途上国の人に
「日本人みたいにはなりたくないよー!人生楽しめてないじゃん!自分の良心よりもルールが優先なんだ!」
って言われちゃうかもね?
現地に行って感じたことは、日本で聞いている時には馬鹿らしいと思っていたこういうアドバイスも、現地の医療設備や日本とは違う常識に当てはめると
「なるほどな」
と思わされることもあります。 でもこのアドバイスをすべて守っていたら窮屈過ぎて何も生活できません。
だってペットボトルの水が手に入らなくて、煮沸することが困難だった場合、生水を飲んで下痢をするか、我慢して脱水症状になるかの選択になるからです。
現地のお母さんが一生懸命作ってくれたご飯を遠回しでも断ることはボランティアとして以前に人間としていかがなものか?ということになるしね。
下痢する自由ってもんがあっても良いよね?
自分の判断で下痢したならその下痢には意味があるし、プライドを持てると思います。
そこでダメなのは?
「下痢したー、ジャイカの人助けてー、協力隊なんて来なければ良かった」
っていう人だと思います。
そういう人には「自由」を求める権利は無いよね。
自由が欲しいならそれによって起こったことには自分で責任とらないとね
責任は取らない、でも自由は欲しいでは矛盾してるよね。
その選択を自分ですることが「自由がある」ということなのだと思います。
日本では最初からルールと規制か過剰すぎて、危険だからルールを守らなきゃ!って思う前に、警察に捕まるから守らなきゃ!
ってことになってるよね。 そういう環境で育った人が考えることは
「ルールの範囲内でやれることはどんな汚いこともやらなきゃ損!
法律や規制が追いついていないグレーゾーンならとりあえずやったもん勝ち」
になってしまってるところもあると思います。
資本主義が行きづまっているのもそういう考え方が一部の頭の良いと言われる
ビジネスマンの中で「自由」という言葉を盾にして広がりすぎたからだと思います。
ルールや規制ではなくって「ジャングルのオキテ」が守られていたころのほうが
人間は純粋だったのではないかな?
「弱肉強食」っていう言葉は野蛮ではなくてもしかしたらバランスのとれた
素晴らしい「オキテ」だったのではないかと思います。
「自由を得たいなら、リスクも覚悟しなければならないということ」
バヌアツに派遣される前の研修で、色々な立場のプロが途上国で起こることに対するレクチャーをしてくれる。
衛生に対するレクチャーでは
「現地の人の家の呼ばれて食事をするときは、もし現地の人が手を洗わずに食事の準備をしていたり、まな板が汚れていたり、水が無いので生野菜を洗っていなかった場合は、衛生上断るべきである」
と言われたり、
「現地の足と言われているバイクの2人乗り、3人乗りのタクシーは隊員は乗ってはいけない、時にはドライバーが酔っぱらっていることもあるし過去に事故が多く報告されている」
「現地ではトラックの荷台に人が乗ることが許されているが、あれは振り落とされるので危険である。」
「現地のレストランで出された水は飲んではいけない、必ず下痢をする、しかしコーラなどの加工されている飲み物は安全である、でももしコーラがグラスにつがれていて、その中に氷が入っていた場合、氷は生水からつくられているので、残念ながら飲んではいけない」
などとそれぞれの立場からそれぞれの専門家が連日レクチャーしたあとに異文化理解の教授がきてこう言っていた
「協力隊の隊員としては現地の人と同じものを食べて、同じものを着て、同じ生活をしなくては誰もあなたの事を信頼して一緒に働いてはくれません。どこまで現地に溶け込めるかが信頼を得るには大切なのです」
それぞれの自分の専門分野で真面目に考えた結果がこういう矛盾をになるのだろうし、結局人間は一人一人がとても真面目で良い人だけど、多くの人が組織を構成していて、その人たちの安全を守る為に、過去に起こった事件、事故を繰り返さないようルールを作っていくと今度は禁止事項ばかりで何もできなくなってしまう。
結局は途上国の人に
「日本人みたいにはなりたくないよー!人生楽しめてないじゃん!自分の良心よりもルールが優先なんだ!」
って言われちゃうかもね?
現地に行って感じたことは、日本で聞いている時には馬鹿らしいと思っていたこういうアドバイスも、現地の医療設備や日本とは違う常識に当てはめると
「なるほどな」
と思わされることもあります。 でもこのアドバイスをすべて守っていたら窮屈過ぎて何も生活できません。
だってペットボトルの水が手に入らなくて、煮沸することが困難だった場合、生水を飲んで下痢をするか、我慢して脱水症状になるかの選択になるからです。
現地のお母さんが一生懸命作ってくれたご飯を遠回しでも断ることはボランティアとして以前に人間としていかがなものか?ということになるしね。
下痢する自由ってもんがあっても良いよね?
自分の判断で下痢したならその下痢には意味があるし、プライドを持てると思います。
そこでダメなのは?
「下痢したー、ジャイカの人助けてー、協力隊なんて来なければ良かった」
っていう人だと思います。
そういう人には「自由」を求める権利は無いよね。
自由が欲しいならそれによって起こったことには自分で責任とらないとね
責任は取らない、でも自由は欲しいでは矛盾してるよね。
その選択を自分ですることが「自由がある」ということなのだと思います。
日本では最初からルールと規制か過剰すぎて、危険だからルールを守らなきゃ!って思う前に、警察に捕まるから守らなきゃ!
ってことになってるよね。 そういう環境で育った人が考えることは
「ルールの範囲内でやれることはどんな汚いこともやらなきゃ損!
法律や規制が追いついていないグレーゾーンならとりあえずやったもん勝ち」
になってしまってるところもあると思います。
資本主義が行きづまっているのもそういう考え方が一部の頭の良いと言われる
ビジネスマンの中で「自由」という言葉を盾にして広がりすぎたからだと思います。
ルールや規制ではなくって「ジャングルのオキテ」が守られていたころのほうが
人間は純粋だったのではないかな?
「弱肉強食」っていう言葉は野蛮ではなくてもしかしたらバランスのとれた
素晴らしい「オキテ」だったのではないかと思います。
2012年2月11日土曜日
準備ばかりの日本人
小・中学校時代は高校受験に向けて、
高校三年間は大学受験に向けて、
大学4年間は少しゆとりを持ちながらも就職に向けて準備して
社会人になったら年金制度の崩壊を恐れて老後の為にせっせと貯金、
60歳で定年すると同時に病気で死んでしまったり、
定年した瞬間に奥さんに逃げられたり、
仕事一筋だったので社会に居場所がなかったり、
それでも周りに迷惑かけてはいけないと一生懸命に医療保険を
払い続けて何時病気になってもよいように準備して
日本人の「人生の本番」は何時だったのか?
と思うこともあります。
外国人の自由すぎにもどうかな?と不安になることもあるけどね!
高校三年間は大学受験に向けて、
大学4年間は少しゆとりを持ちながらも就職に向けて準備して
社会人になったら年金制度の崩壊を恐れて老後の為にせっせと貯金、
60歳で定年すると同時に病気で死んでしまったり、
定年した瞬間に奥さんに逃げられたり、
仕事一筋だったので社会に居場所がなかったり、
それでも周りに迷惑かけてはいけないと一生懸命に医療保険を
払い続けて何時病気になってもよいように準備して
日本人の「人生の本番」は何時だったのか?
と思うこともあります。
外国人の自由すぎにもどうかな?と不安になることもあるけどね!
協力隊員の親達
留学するかどうか迷っている高校生に、大人は良いよ、
自分の責任で何でもできるからね。って言った時に思い出して話したことがあって、
協力隊に一緒にいった隊員にも二つのタイプがありました。
一つは親から反対されている人、親からの理解を受けられず、
それでも自分の人生を進みたいと思って会社を辞めてでも参加する人。
もう一つは親から
「ダメだったらいつでも帰っておいで、私達はいつでも待っているよ」
と応援してもらって参加する人です。
何をしようが親は無関心という人もいますが・・・
親の理解が得られないまま参加している人は、
やっぱり頭のはじっこで親の事がちらつくし意地になるから、
どんな辛いことがあっても弱音を吐かずに頑張ると思います。
そうなると時には仕事に心のゆとりがなくなってしまうこともあると思います。
弱音を吐いてしまって親から
「だから言ったじゃないか、お前には無理んだったんだ!」
と言われるのがいやで頑張りすぎて抱え込んでしまう人も結構いると思います。
でも協力隊の場合は行った現地と自分の能力や技術、
人との出会いなどの運によるものが7割くらいを占めてるとおもうので、
自分のせいにしすぎないほうが良いと僕は思います。
そこに親の反対を押し切ったという変なプレッシャーがかかると
判断を間違いやすいと思います。
親から
「いつでも待っているよ、自分のやり方でベストを尽くしておいで!」
と応援された人は、辛い現状になっても心が安定して弱音も吐けるし、
頑張らないといけないところ、妥協すべきところの判断も素直にできるのだと感じます。
最後に僕が最も好きなパターンは
親に反対されてきた隊員が現地に親を呼んで自分の生活や
現地の人達にどれくらい信頼され良い関係を作っているかを見てもらうことです。
親からしたら
「子供の頃から何を考えているか理解できないし、
何をやっても中途半端だと思っていたし、
ろくに相談もしないで勝手に協力隊に申し込んで飛び出していった自分の子供が、
ボランティアとしてこれほど輝いているとは」
と理解して、親自身の人生観もかえてしまう瞬間を見たときです。
仕事一筋で真面目だった親のほうがそういう気持ちになると思います。
あといつも驚かされるのは、隊員として一緒に活動していたり普段生活していると、
「この人どんな親に育てられたのかな?なんでこんなに自由すぎるのかな?」
って疑問に思ってしまう日本社会に不適合そうな隊員の親にあってみると、
メチャクチャしっかりしていて、優しくて、気が利いて良い人だったりします。
そういうときに何かとてもうれしい気持ちになります。
それってウラさん自分の事でしょ。と思う人もいるかも知れませんけど、
僕はしっかりしているつもりです。
自分の責任で何でもできるからね。って言った時に思い出して話したことがあって、
協力隊に一緒にいった隊員にも二つのタイプがありました。
一つは親から反対されている人、親からの理解を受けられず、
それでも自分の人生を進みたいと思って会社を辞めてでも参加する人。
もう一つは親から
「ダメだったらいつでも帰っておいで、私達はいつでも待っているよ」
と応援してもらって参加する人です。
何をしようが親は無関心という人もいますが・・・
親の理解が得られないまま参加している人は、
やっぱり頭のはじっこで親の事がちらつくし意地になるから、
どんな辛いことがあっても弱音を吐かずに頑張ると思います。
そうなると時には仕事に心のゆとりがなくなってしまうこともあると思います。
弱音を吐いてしまって親から
「だから言ったじゃないか、お前には無理んだったんだ!」
と言われるのがいやで頑張りすぎて抱え込んでしまう人も結構いると思います。
でも協力隊の場合は行った現地と自分の能力や技術、
人との出会いなどの運によるものが7割くらいを占めてるとおもうので、
自分のせいにしすぎないほうが良いと僕は思います。
そこに親の反対を押し切ったという変なプレッシャーがかかると
判断を間違いやすいと思います。
親から
「いつでも待っているよ、自分のやり方でベストを尽くしておいで!」
と応援された人は、辛い現状になっても心が安定して弱音も吐けるし、
頑張らないといけないところ、妥協すべきところの判断も素直にできるのだと感じます。
最後に僕が最も好きなパターンは
親に反対されてきた隊員が現地に親を呼んで自分の生活や
現地の人達にどれくらい信頼され良い関係を作っているかを見てもらうことです。
親からしたら
「子供の頃から何を考えているか理解できないし、
何をやっても中途半端だと思っていたし、
ろくに相談もしないで勝手に協力隊に申し込んで飛び出していった自分の子供が、
ボランティアとしてこれほど輝いているとは」
と理解して、親自身の人生観もかえてしまう瞬間を見たときです。
仕事一筋で真面目だった親のほうがそういう気持ちになると思います。
あといつも驚かされるのは、隊員として一緒に活動していたり普段生活していると、
「この人どんな親に育てられたのかな?なんでこんなに自由すぎるのかな?」
って疑問に思ってしまう日本社会に不適合そうな隊員の親にあってみると、
メチャクチャしっかりしていて、優しくて、気が利いて良い人だったりします。
そういうときに何かとてもうれしい気持ちになります。
それってウラさん自分の事でしょ。と思う人もいるかも知れませんけど、
僕はしっかりしているつもりです。
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