2010年6月1日火曜日

自分探しの旅 ③

 協力隊に合格したのは2006年の3月くらいだったと思います。

 事前の研修は2006年の10月からスタートです。

 会社を辞めたのは4月だったのですが、10月まで親父が4回目になる

癌の転移の手術だったので、大阪に帰って一緒に過ごしていました。

 「犬のおまわりさん」

 というブログを書いた頃はちょうどその頃だったと思います。



 最初に舌癌になってから3年後にリンパ、その後一年半で肺に転移、

 5年間で三か所の転移です。しかも転移の間隔は短くなってきている。

 これから研修も含めて2年半の間、親父は頑張ってくれるだろうか?

 でももしここで合格した協力隊をあきらめてしまったら、会社もすでに

辞めているし、32歳で親の看病をしながらバイト暮らしをするのかな?

 って漠然と考えていました。

 親父の手術の前に大阪大学の放射線科の先生のところの親父が僕を

 連れて行ってくれました。 すでに親父は手術が決まっていたので、

 放射線の治療は今回はしませんが、過去の手術の前には放射線を当てて

 癌を小さくしてから手術をするというようなことをした為に、その時も

手術の前に相談に行きました。

 
 その時にうちの親父が先生にうれしそうに

「これがうちの息子です。うちの息子は来年の一月から南太平洋にボラン

ティアに行くんです。今は私の面倒をみるために大阪に戻ってきています。」

 と紹介してくれました。僕が

 「親父の病気の事があるから、少し心配なんです」

 というとその先生は

「心配なのはわかるけど、あなたは行くべきです、お父さんは頑張ります。

 それは僕が一番良く知っている、放射線治療の副作用はきつい、でもお

父さんは良く頑張ってくれた。

だから大丈夫です、家族がやりたいことを

やってくれていたほうが患者さんも頑張れるものです。」

 と親父と僕の前で話してくれました。

 僕は前から

「協力隊に受かって喜んでいる自分を親父はどう思っているのかな?」

 と心配していたのですが、それを親父に直接聞いたことはなくて、

 なんとなくモヤモヤしていたのですが。先生にうれしそうに僕の事を

話している親父と、その先生のアドバイスでなんとなく心が落ち着きました。

 お父さんを癌で亡くした友達にも言われました。

「もし協力隊をあきらめて日本に居ても親の死に目に会えることは

殆どないと思う。たいていは病院で意識が無くなって家族が呼ばれて、

そのまま三日ほどして意識は戻らないままに亡くなることが多い、だから

日本に居て親が無くなるのを待つような人生を送るよりも、自分の好きな

事をして輝いてる自分を親に見せたほうが親も長生きする」
 
 とアドバイスしてくれました。

 2006年の7月に親父は手術を受けて、二週間ほどで退院、僕は10

月から研修で長野に行きました。

 11月頃に親父からメールで電話が欲しいとのこと

長野の研修所は前にある大きな駐車場でしか携帯の電波が入らないので、

薄暗くて寒い中、駐車場から親父に電話しました。

 「せっかく手術したけど、逆の肺にも転移が見つかってしまった。

 体力の回復をまってもう一度手術するかもしれないしもう手術はしない

かもしれない、自分でもどうしたらよいかわからない」

 という事でした。

 研修が始まって一カ月、大阪に帰ったほうが良いかな?と考えていまし

た。協力隊はまたテストを受けて受かればよいか! と考えていました。

 数日後に姉から電話があり、今回の手術は姉と叔母さんの二人で

看病するから、テルはそのまま研修受けてバヌアツ行って大丈夫。
 

という連絡をもらいました。


無事に研修が終わって1月8日に僕は大阪の伊丹空港から成田に向かいました。

見送りにきた友達に気を使いながら、2年後に親父はどうなっているのかな?

 人生で親父を見るのはこれが最後かな?

 もしかしたら今この瞬間は人生の大きな節目なのかもしれない。

と空港のゲートで親父の姿を目に焼き付けようとしていました。

 

 その4ヶ月後


僕は親父に再び会いました。
 
 5回目の手術の日程を2007年の6月と決めた親父は、

手術をして体力が落ちたらバヌアツには行けない。

といって手術の日程をきめてから5月の連休

をつかって、僕の中学校時代の同級生とそのお父さんという3人で

バヌアツにやってきました。

 
僕が子供に体育を教えているのを見て、

「テルはアメフトを引退したけど、次の道を見つけたようだ」

 と満足して帰国して行ったのだと思います。


 その後の6月の手術も無事に終わり、僕が帰るまでの間は必ず生きて待

っている!

という一心で2009年の一月の僕の帰国まで頑張ってくれていました。


 その後6カ月は子供のように僕に甘えて旅立って行きました。

 喧嘩ばかりだったけど、良い親孝行をさせてもらったと本当におもっています。

もし親父が僕がバヌアツに行っている間に、亡くなって居たら、おそらく

親戚みんなから説教されていたと思います。

 本当にできた親父でした。気合いと根性の人でした。


 親離れ、子離れ、自分探しの旅。って言うテーマでしたが。

僕の場合は家族の理解があっていままで頑張ってこれたと思います。

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