2010年2月23日火曜日

偉大な先輩隊員


派遣当事、タンナ島には僕ともう一人、小学校教諭(算数指導)隊員の先輩がいましたが、現職参加の教員だったので、1年8ヶ月の任期で帰国されました。
帰国前、首都に上がってしまうということで、二人で最後の晩餐しました。
先輩は昨年末にバヌアツの子供たちを日本のテレビ番組「30人31脚」に同行した隊員で、村人とも溶け込み、活動もとても順調、ビシュラマ語も良く話せて、僕から見れば偉大ですばらしい隊員でした。
最後の日、二人で、カバというお酒みたいなのを飲みに行って、その後二人で先輩の家の前で焚き火をしました。
二年間の活動を振り返って、最初の三ヶ月が本当に辛かったと話してくれました。
「言葉も話せず居場所も無く、授業も見てるだけで自分ではできなかった。俺は本当にダメだった・・・」
と語ってくれました。今の姿を見ると想像出来ない感じです。
「自分の前任者の方が偉大すぎて、俺は本当に辛かった・・・今でも村人に前任の人と名前を間違われると残念に思う・・・」
と冗談まじりに話してくれました。
前任者の方が帰国前に感謝の気持ちをこめて、最後だからとプリンターを使って村人みんなに写真を現像して渡していったらしく、自分が赴任したての頃は「日本人は写真を作れるんだろ」と言われ、「たかられてるのはわかっていたけど、居場所の無かった自分はそれでしかみんなとコミニケーションをとることが出来ずに、ひたすら写真をプリントし村人に配ることしか出来なかった。」

「物をあげることでしか村人とコミニケーションが取れないのであれば、プリンターだけあれば自分はいらないということに思え、自分が情けなく、本当に辛い時期だった」
としみじみと語ってくれました。でも今となっては全てが先輩にとっては良い思い出だったみたいです。
 
先日、自分も似たような経験をしました。

パソコン室みたいなところを過去に外国の援助で10台ほどのパソコンがあるのですが、いつも調子が悪く、その日もメールが送れずに待っていると、近所の子供たちがゲームをするためにそこにきており、僕の周りに集まってきました、僕はどうせインターネットつなげないしとおもい、パソコンに入っている写真を見せてあげました。
子供は喜ぶと思ったのですが、あまりにも違う日本の世界と、バヌアツとはまったく違うネクタイをしてる僕の姿をみて みんな黙ってしまって真剣な顔で見てました。

そのときなんとなく自分が良くないことしたなって思いました。バヌアツに溶け込もうとしてるのに、写真を自慢げにみせるなんてきっと気が付かないうちに自分に自信が無くなっていたのかも知れません。

でも後から考えると、僕にしても先輩にしても言葉でコミニケーションが取れない以上、最初は物で接していくしかないと思います。(手品が出来れば最高なんですが・・・)
なんとかコミニケーションをとりたくて、でも言葉では伝えられないから、物に頼る。
最初はそれでもよいと思いました。
いけないのは自分の語学の力の無さを棚に上げて、現地の人の生活水準がひくいとか、意識が低いからダメだ。などと自分ではなくて相手を攻めることだと思います。
あとはまだ現地で何もできない自分自身を攻めることも駄目です。
僕ら二人はそうは思わなかっただけ前向きだったと思います。
(僕はまだ必死ですが・・・)

 先輩の家と我が家は歩いて一時間はかかるので、その日は先輩の家に泊まり、次の日の朝に大量のジャイカのグッズ(防犯や工具、無線など)を引き継いで、二人で硬い握手を交わして別れました。

男同士だし特に何も語りませんでしたが、先輩も1年8ヶ月間一人で離島で暮らししてきたし、それ以降僕も今月末まで一人の離島になりましたす。

二年間活動したもののみに与えられる何かを先輩は持っている気がしました。
自分も二年後無事に活動終えて、その何を得られるのかどうかはまだわからないけど、帰りの道でなんとなく身が引き締まる思いがしました。
 
ちなみにバヌアツ人はなぜかデジカメ持ってる人結構いますが、うちの島にはカメラ屋はないので、みんなデジカメに写真が満杯になると、どうすの? ってきいてきます。
プリントして写真にしたら、消すんだよ。と言っても、プリントするところ無いから、みんな困っています。
「お前はどうしてるのか」
ときかれたら、パソコンに溜めてるから大丈夫と答えます。
ちなみに首都の島に現像しにいっても、一枚100円と結構高いので、現金収入のない村人は写真作れないと思います。現状はみんなデジカメが満杯になったら一番いらない写真を一枚消して、一枚撮るといった感じです。
実は、僕はその先輩からプリンターもらったんですけど、内緒にしてます。
まだプリンターに人気を持っていかれては困るので・・・・

写真はウチから歩いて一分のところにあるツリーハウスです。朝日に輝いて綺麗でしょ!
学校の敷地にあり特に誰かが住んでるわけではないです。タンナ島にはツリーハウスに泊まれるバンガローがあるらしいですが、そこには電話がないので予約不要?というか予約不可らしいです。
役に立たない情報でごめんなさい。
 
今タンナ島で一番ホットなミュージックはオゾンの「恋のマイアヒ」です。みんなノリノリでかわいいです!
 

真面目にマラリアのこと


授業中に子供にもらって食べたマンゴーで口の周りがかぶれました。枝の付いているほうと逆の方から食べないとかぶれるそうです。「マンゴーを食べたらマンゴーに食べられたんだ」と言ってバヌアツ人は大笑いしてました。
 
そして先週も書いたブッシュロープのツルです。やはり縄跳び代わりに使っていたブッシュロープはこれもまた漆科みたいで、握っていた手の親指とその周りがきれいにかぶれました。痒いです。寝てるときも痒いです。しかもかゆみ止めの飲み薬飲むと眠くなって仕事できません。だから朝は飲めないです。
毎朝口の周りと、手の周りにかゆみ止めを塗ってます。

足に小さな傷があると、そこにハエがたかってボイラーという病気になります。アフリカなどで、子供の足にハエがたかって膿んでるのを見ると思いますが、あんな感じです。(あそこまでではないけど・・・)
靴擦れで肌が荒れてるときにサンダルはいて外に出ると、一気にハエが寄ってきて攻撃します。だから少しの傷でもすぐにバンドエイドしておかないと、膿んでしまいます。
最初は乾燥させたほうが良いと思ってなるべくバンドエイドしないで置いたけど、やはりしないとボイラーになるので最近ちゃんと張ってます。

タンナにきて三週間、活動が運よく順調に行ってるとおもって喜んでたら、やはりそれなりの落とし穴がありました。三週間で二度目の風邪が待ってました。ちなみにバヌアツきて二ヶ月では三度目。
月曜日の午後になんとなく体がだるいなって思ってたんだけど、きっとかゆみ止めの薬のせいだと思って、水シャワー(水しかない)かぶって寝てました。
火曜日の朝も体だるかったけど、週に一度しかそれぞれの学校に巡回できないので、一週休むと、二週間あいてしまうことになり。薬飲んで何とか頑張っていきました。
午前中は涼しく曇っていたので何とか授業できましたが、午後はカンカン照りで、大声出すとめまいがしました。腰や間接も痛くて、耳の奥も膜が張ったみたいなって、自分の声が変な感じで聞こえてきたりして、フラフラしながら帰りました。
でもやっぱり自分で体育の授業をさせて欲しいと校長先生に頼んでやらしてもらってる以上は、休むのは気が引けるので頑張ってすべての授業を終わらせました。
 
返ってからはシャワーも浴びずに汗とホコリまみれの体のままとりあえず寝ました。
夕方おきても食事作る元気もなく、薬を飲みたいけど胃があれるのが嫌だったので、とりあえずビスケットを水で流し込むように食べて薬のみました。熱は7,5度だったので、まだ大丈夫だと思ってたら、夜の9時ごろには8度になってました。
「久々の8度だな」って思ってたら11時ごろには9度になってました。そのとき初めてマラリアかも。っておもいました。しかもそのときには相当頭がボーとしてて、体温を計りながら忘れて寝てしまい。次に起きて服を着替えようとしたら、脇の下に体温計が挟まってる状態でした。凄い汗で服をすべて着替えました。
その次におきたのは真夜中、今度はメチャクチャ寒くてしかも汗びっしょり。悪寒とはこのことだな、って思いながら、また洋服を全部着替えて、慌てて毛布に包まり、その外から真冬用の寝袋に入ってチャックを首まで閉めて、顔も寝袋に入れて寝ました。息苦しさより寒さの方が耐えられずそのまま眠りました。
 
朝方に起きて水を大量に飲みました。熱は8度に下がっていて気分も9度の時よりはましかな?って感じでした。ジャイカからもらった健康対策マニュアルみたいなのを見たら、高熱が出て、悪寒がして節々が痛くて、気分爽快になる。それが数日繰り返すのがマラリアです。って書いてあって、もしかして、今はその爽快期なのかな?っておもいました。
 
結局その日は仕事には行けませんでした。バヌアツで困るのは電話がないために、病気で仕事やすむと連絡なしで休んだことになるため、先生や校長に迷惑がかかることです。
「こんなに風邪引くんだったらもう少しゆっくりなペースで仕事すればよかったのかな? 結局みんなに迷惑かけてるな・・・信頼失うなー・・・」と思いながら反省しました。
 
でもその時点でもまだ8度の熱があり、お粥食べて薬飲んで様子見ました。でも熱は下がらず、めまいも凄いので、やはりこれはマラリアかもと思い、思い切って病院にいくことにしました。
そこで考えたのはもしマラリアなら、家に戻ってこれないかも知れない。ただでさえ靴や洋服、デジカメなどは盗まれることがあると聞いていたので、電気製品とお金を家のいたるところに隠して、もしこのまま入院しても大丈夫なように家のなかを整理しました。
お金は壊れたガスコンロの中に入れました。デジカメとパソコンは使ってない納戸のような部屋の押入れの一番上に下からは見えないような角度で隠しました。
洋服はバヌアツに来たときに入れてきた一番大きなかばんに知れて屋根裏に投げ込みました。
高熱で寒気とめまいと戦いながら家の中に物を隠すのはとても嫌な作業でした・・・
もうこの家には戻ってこれないような気持ちさえ起こりました。
病院にいって受付を済まして、1000円払って待っていると、先生が二週間以内にどこか旅行したか?とか最近蚊に噛まれたか?などと質問して。
その後血液検査をしました。中指の先に針を刺して、少しだけ血を採ってガラスの板に延ばして顕微鏡で見るみたいでした。
 
血を採って廊下で待っていると、隣に老人と孫がいました。
椅子などないので、みんなコンクリートの廊下に地べたに座っていますが、
「どうしたの?」
ってきいてくれたので、
「マラリアの検査して結果待ちです」
っと答えたら、孫もそうなんだよ。って教えてくれました。
しばらくして一人のお医者さんが戻ってきて、孫をゆびさして。
「彼、マラリア!」
と言って 三人は去って行きました。

廊下には僕が一人だけ残されました。
一人になると急に寂しい気分になりました。
もし自分もマラリアなら首都に戻るのかな?それともここで入院かな?って考えました。
やっと活動も順調になってきたのに、とりあえず一ヶ月は家には帰れないのかな?
誰も頼る人いないし、首都にどうやって連絡しようかな・・・・
自分は惨めなのかな?もし他の人だったらどう思うのかな?
などど考えていたら急に逆のことを思いました。
 
 「もし僕以外の日本人がタンナに来いてその人が僕の代わりに病気になって今の僕と同じ思いをして僕の代わりにここに座ってるとしたらそれは相当気の毒だな。だったらここにいるのが今自分でよかったな。」
「まあ別の人ならきっと病気にもならなかったかもしれないけど、それにしてもなんとなく人の役にはたててるような気がするな。」
 
「ウーン!こんな風に考えれてる僕は相当ポジティブだな!」
 
「この際マラリアになってたほうがもっと役に立ってる気がするかもな!」
などと馬鹿なことを考えました。 オメデタイ人間でしょ!
そう思うとなんとなく気持ちも落ち着き、二年間もあれば一度くらいはマラリアもなるだろう!と変な勇気がわいてきました。

そしてさっきのお医者さんが戻ってきて何か紙を渡しました。そこには何か汚い字で書いてあったけど、よくわかりませんでした。
マラリアなのかどうなのか教えてよっておもったけど、これをもって先生のところに行けというので持って行きました。
読もうとしたけど、僕の名前がテルヒロ ウラなのに、テルが名前でヒロが苗字になっていることくらいしかわかりませんでした。
 
でも先生が言うのは結果はネガティブでマラリアでは無いよ。ということでした。よく見たら英語でNEGAとかいてありました。でも血液中の何か(聞き取れなかった)が多くなってしまっているので、アンモキシ
ン?とかいう薬をもらって五日間飲みなさいということでした。抗生物質かな?
血液といえば 赤血球とか白血球とかしかないよな?なんて思いながら、ホッとして家に戻ってきました。なんとなく気が軽くなって、気持ちが落ち着きました。
家に戻っていろんな所に隠したお金やデジカメなどを苦労してもう一度もとの場所にもどしながらなんとなく良かったなー!って思いました。
 
「病気するのも活動のなかの一つだな」
などど綺麗ににまとめながら、この長いブログを読んでくれた皆様に感謝したいとおもいます。
おそらく同じ内容を日本の家族や友達に送ったら、みんな凄く心配するだろうし、何でそんな思いしてまで外国行くのか?って言われることでしょう。
特に母親は 「それ見たことか!」
と言うかも知れません。

でも病気しても、苦労しても、毎日活動終わって疲れて帰ってきてから水をかぶって体を洗ってスッキリした気分で「今日も暑いなかよく働いたなー」と一人でボーッとしてるとなんとも言えない充実間があります。日本で人と競争しながら仕事してたときには決して思えなかった気持ちかも知れません。
日本には無意識のうちに良いことしかメールしないような気がします。
ブログに書いたら同じだけどね・・・・
ごめんねお母さん親不孝で・・・・・
この先ほんとにマラリアになるかもしれないけど、覚悟しておこうと思います。
 
ちなみにマラリアが怖いとみんな良く言うけど、僕がきてからあった先輩隊員の話だと過去二年間バヌアツ関係者でマラリアになった人は居ません。それ以前は情報が無いのでわかりませんがもちろん亡くなった人も居ないです。もちろんジャイカと隊員達のきちんとした予防があっての結果だとは思いますが、なにも知らない日本で僕らが過剰に恐れているようなことは絶対に無いです。
バヌアツ人でもマラリアで死ぬ人はめったに聞きません。

写真は恥ずかしながら我が家です。古くて大きな家ですが殺人現場みたいとも言われています。
散らかってるのは病気の後だからではなく、だらしが無いからですゴメンナサイ。
ありのままを書くのがブログだもんね! ではではこの辺で・・・・

まじめにマラリアのこと

授業中に子供にもらって食べたマンゴーで口の周りがかぶれました。枝の付いているほうと逆の方から食べないとかぶれるそうです。「マンゴーを食べたらマンゴーに食べられたんだ」と言ってバヌアツ人は大笑いしてました。

そして先週も書いたブッシュロープのツルです。やはり縄跳び代わりに使っていたブッシュロープはこれもまた漆科みたいで、握っていた手の親指とその周りがきれいにかぶれました。痒いです。寝てるときも痒いです。しかもかゆみ止めの飲み薬飲むと眠くなって仕事できません。だから朝は飲めないです。
毎朝口の周りと、手の周りにかゆみ止めを塗ってます。

足に小さな傷があると、そこにハエがたかってボイラーという病気になります。アフリカなどで、子供の足にハエがたかって膿んでるのを見ると思いますが、あんな感じです。(あそこまでではないけど・・・)
靴擦れで肌が荒れてるときにサンダルはいて外に出ると、一気にハエが寄ってきて攻撃します。だから少しの傷でもすぐにバンドエイドしておかないと、膿んでしまいます。
最初は乾燥させたほうが良いと思ってなるべくバンドエイドしないで置いたけど、やはりしないとボイラーになるので最近ちゃんと張ってます。

タンナにきて三週間、活動が運よく順調に行ってるとおもって喜んでたら、やはりそれなりの落とし穴がありました。三週間で二度目の風邪が待ってました。ちなみにバヌアツきて二ヶ月では三度目。
月曜日の午後になんとなく体がだるいなって思ってたんだけど、きっとかゆみ止めの薬のせいだと思って、水シャワー(水しかない)かぶって寝てました。
火曜日の朝も体だるかったけど、週に一度しかそれぞれの学校に巡回できないので、一週休むと、二週間あいてしまうことになり。薬飲んで何とか頑張っていきました。
午前中は涼しく曇っていたので何とか授業できましたが、午後はカンカン照りで、大声出すとめまいがしました。腰や間接も痛くて、耳の奥も膜が張ったみたいなって、自分の声が変な感じで聞こえてきたりして、フラフラしながら帰りました。
でもやっぱり自分で体育の授業をさせて欲しいと校長先生に頼んでやらしてもらってる以上は、休むのは気が引けるので頑張ってすべての授業を終わらせました。

返ってからはシャワーも浴びずに汗とホコリまみれの体のままとりあえず寝ました。
夕方おきても食事作る元気もなく、薬を飲みたいけど胃があれるのが嫌だったので、とりあえずビスケットを水で流し込むように食べて薬のみました。熱は7,5度だったので、まだ大丈夫だと思ってたら、夜の9時ごろには8度になってました。
「久々の8度だな」って思ってたら11時ごろには9度になってました。そのとき初めてマラリアかも。っておもいました。しかもそのときには相当頭がボーとしてて、体温を計りながら忘れて寝てしまい。次に起きて服を着替えようとしたら、脇の下に体温計が挟まってる状態でした。凄い汗で服をすべて着替えました。
その次におきたのは真夜中、今度はメチャクチャ寒くてしかも汗びっしょり。悪寒とはこのことだな、って思いながら、また洋服を全部着替えて、慌てて毛布に包まり、その外から真冬用の寝袋に入ってチャックを首まで閉めて、顔も寝袋に入れて寝ました。息苦しさより寒さの方が耐えられずそのまま眠りました。

朝方に起きて水を大量に飲みました。熱は8度に下がっていて気分も9度の時よりはましかな?って感じでした。ジャイカからもらった健康対策マニュアルみたいなのを見たら、高熱が出て、悪寒がして節々が痛くて、気分爽快になる。それが数日繰り返すのがマラリアです。って書いてあって、もしかして、今はその爽快期なのかな?っておもいました。

結局その日は仕事には行けませんでした。バヌアツで困るのは電話がないために、病気で仕事やすむと連絡なしで休んだことになるため、先生や校長に迷惑がかかることです。
「こんなに風邪引くんだったらもう少しゆっくりなペースで仕事すればよかったのかな? 結局みんなに迷惑かけてるな・・・信頼失うなー・・・」と思いながら反省しました。

でもその時点でもまだ8度の熱があり、お粥食べて薬飲んで様子見ました。でも熱は下がらず、めまいも凄いので、やはりこれはマラリアかもと思い、思い切って病院にいくことにしました。
そこで考えたのはもしマラリアなら、家に戻ってこれないかも知れない。ただでさえ靴や洋服、デジカメなどは盗まれることがあると聞いていたので、電気製品とお金を家のいたるところに隠して、もしこのまま入院しても大丈夫なように家のなかを整理しました。
お金は壊れたガスコンロの中に入れました。デジカメとパソコンは使ってない納戸のような部屋の押入れの一番上に下からは見えないような角度で隠しました。
洋服はバヌアツに来たときに入れてきた一番大きなかばんに知れて屋根裏に投げ込みました。
高熱で寒気とめまいと戦いながら家の中に物を隠すのはとても嫌な作業でした・・・
もうこの家には戻ってこれないような気持ちさえ起こりました。
病院にいって受付を済まして、1000円払って待っていると、先生が二週間以内にどこか旅行したか?とか最近蚊に噛まれたか?などと質問して。
その後血液検査をしました。中指の先に針を刺して、少しだけ血を採ってガラスの板に延ばして顕微鏡で見るみたいでした。

血を採って廊下で待っていると、隣に老人と孫がいました。
椅子などないので、みんなコンクリートの廊下に地べたに座っていますが、
「どうしたの?」
ってきいてくれたので、
「マラリアの検査して結果待ちです」
っと答えたら、孫もそうなんだよ。って教えてくれました。
しばらくして一人のお医者さんが戻ってきて、孫をゆびさして。
「彼、マラリア!」
と言って 三人は去って行きました。

廊下には僕が一人だけ残されました。
一人になると急に寂しい気分になりました。
もし自分もマラリアなら首都に戻るのかな?それともここで入院かな?って考えました。
やっと活動も順調になってきたのに、とりあえず一ヶ月は家には帰れないのかな?
誰も頼る人いないし、首都にどうやって連絡しようかな・・・・
自分は惨めなのかな?もし他の人だったらどう思うのかな?
などど考えていたら急に逆のことを思いました。

「もし僕以外の日本人がタンナに来いてその人が僕の代わりに病気になって今の僕と同じ思いをして僕の代わりにここに座ってるとしたらそれは相当気の毒だな。だったらここにいるのが今自分でよかったな。」
「まあ別の人ならきっと病気にもならなかったかもしれないけど、それにしてもなんとなく人の役にはたててるような気がするな。」

「ウーン!こんな風に考えれてる僕は相当ポジティブだな!」

「この際マラリアになってたほうがもっと役に立ってる気がするかもな!」
などと馬鹿なことを考えました。 オメデタイ人間でしょ!
そう思うとなんとなく気持ちも落ち着き、二年間もあれば一度くらいはマラリアもなるだろう!と変な勇気がわいてきました。

そしてさっきのお医者さんが戻ってきて何か紙を渡しました。そこには何か汚い字で書いてあったけど、よくわかりませんでした。
マラリアなのかどうなのか教えてよっておもったけど、これをもって先生のところに行けというので持って行きました。
読もうとしたけど、僕の名前がテルヒロ ウラなのに、テルが名前でヒロが苗字になっていることくらいしかわかりませんでした。

でも先生が言うのは結果はネガティブでマラリアでは無いよ。ということでした。よく見たら英語でNEGAとかいてありました。でも血液中の何か(聞き取れなかった)が多くなってしまっているので、アンモキシ
ン?とかいう薬をもらって五日間飲みなさいということでした。抗生物質かな?
血液といえば 赤血球とか白血球とかしかないよな?なんて思いながら、ホッとして家に戻ってきました。なんとなく気が軽くなって、気持ちが落ち着きました。
家に戻っていろんな所に隠したお金やデジカメなどを苦労してもう一度もとの場所にもどしながらなんとなく良かったなー!って思いました。

「病気するのも活動のなかの一つだな」
などど綺麗ににまとめながら、この長いブログを読んでくれた皆様に感謝したいとおもいます。
おそらく同じ内容を日本の家族や友達に送ったら、みんな凄く心配するだろうし、何でそんな思いしてまで外国行くのか?って言われることでしょう。
特に母親は 「それ見たことか!」
と言うかも知れません。

でも病気しても、苦労しても、毎日活動終わって疲れて帰ってきてから水をかぶって体を洗ってスッキリした気分で「今日も暑いなかよく働いたなー」と一人でボーッとしてるとなんとも言えない充実間があります。日本で人と競争しながら仕事してたときには決して思えなかった気持ちかも知れません。
日本には無意識のうちに良いことしかメールしないような気がします。
ブログに書いたら同じだけどね・・・・
ごめんねお母さん親不孝で・・・・・
この先ほんとにマラリアになるかもしれないけど、覚悟しておこうと思います。

ちなみにマラリアが怖いとみんな良く言うけど、僕がきてからあった先輩隊員の話だと過去二年間バヌアツ関係者でマラリアになった人は居ません。それ以前は情報が無いのでわかりませんがもちろん亡くなった人も居ないです。もちろんジャイカと隊員達のきちんとした予防があっての結果だとは思いますが、なにも知らない日本で僕らが過剰に恐れているようなことは絶対に無いです。
バヌアツ人でもマラリアで死ぬ人はめったに聞きません。

写真は恥ずかしながら我が家です。古くて大きな家ですが殺人現場みたいとも言われています。
散らかってるのは病気の後だからではなく、だらしが無いからですゴメンナサイ。
ありのままを書くのがブログだもんね! ではではこの辺で・・・

衣装と道具編


最近いろんな国に派遣された友達の話を聞いて 民族衣装ってうらやましいと思います。だってバヌアツはただ脱ぐだけだからね・・・ 生まれたままに戻るだけで、とくに衣装というようなファッショナブルなものはありません。山に入ればおじいちゃんたちは腰に布を巻いたスカートをはいてます。
 「風呂上りかよ!」って感じです。
 
 そしてみんなブッシュナイフを持ってます。子供も大人もナイフ持ってて、木の 根っこに座って、暇つぶしに何かを削ってます。
 時には50センチほどもあるブッシュナイフで足のつめを削っている人までいて、 間違えて足の指まで切り落とさないかと見ていてヒヤヒヤします。
 
 しかもそのナイフでパパイヤやマンゴ、ココナッツなどをカットしてくれて、
「食べろ!食べろ!」
 と満面の笑みで勧めてくれるので、切り口がちょっとしょっぱい気がするけど、あまり観察すると失礼なので、なるべく見ないようにしてエイッと口に掘り込みます。
 (少し塩分がきいてる気がするかも・・・最近は多少の虫は有機野菜だから仕方な
いと思えるようになって来ました・・・)
 
 ジャングルの奥に行けば行くほどみんな原始的で、しかも食べ物も沢山あります。
 木の根っこに座って話をしていると、たまに上から大きなパパイヤやココナッツな どが風に吹かれて落ちてくるので、結構危険です。
 
 季節ごとに食べれる木の実が変わってくるから一年中飽きないんだ!って嬉しそうに説明してくれます。でもココナッツは一年間常に落ちてきます。
 良い香りのする木とか、タバコに出来る木とか、いろいろな木があって面白いで す。
 
 小さい子供はみんな素っ裸なので、かわいいです。
 
 今週で活動は二週目を終わりました。一週目は走ってばかりで自分も笛を吹くのが 疲れたので、今週は縄とびに変えました。子供の食いつきも良いです。
 しかし、縄跳びは学校にあるわけではなく、休み時間に子供に頼んで
「ブッシュロープをとって来い!」
 っていうと、5人くらいでジャングルに入っていって、簡単に10メートルくらい の木のツルを取ってきます。
 (今書いてて思ったけど、今週手首がずっとカブレ続けたのはもしかしてこのブッシュロープにカブレたのかも・・・・)
 汗をかくと手首が痒いです。

 バヌアツは月曜日と金曜日にマーケットがあって、そこでお肉が買えるのですが、朝に殺してそのまま小屋にブラ下げてカットしながら売ってるので、買ったときはま だ牛の体温が残っており、ビニール袋が暖かいです。(おそらく冬になったら湯気が 立ってそうです)
 二週連続でお昼には売り切れていたので、今週はどうしても欲しくて朝一番で買いました。久々に食べた牛肉は美味しかったです。
 
 まあ今週はこんな感じでした。来週は縄跳びしたらカブレるから他の事考えないといけないと気がつき、筆が進まなくなりました。
 
 来週はエッサッサだな・・・・
 
 ちなみに写真はお肉屋さんです。

2009年5月28日木曜日

だるまさんがころんだ


仮住まいだと言われていた、家に二年間すむことが決まり先日首都から事務所のセ

キュリティーの人が飛行機でわざわざ来てくれて、センサーライトを家の周りに三つ

も付けてくれました。

 そしてサテライトフォンのアンテナと無線のアンテナを付けて帰っていきました。

 村人はみんな大きなアンテナにビックリして、何だ?何だ?と見学していました。


センサーライトはとても明るく、誰かが家に来るとすぐにわかるようになりました。


ウチの家の庭の雑草をカットしてからは、二軒先の家の犬のスパイダーが毎日

来るようになりました。

 スパイダーはウチの家の裏庭に用を足しに来るらしいです。

自分の家の庭で用を足そうとすると、飼い主にパチンコで打たれるので、わざわざウ

チに来るみたいです。

少し失礼だけど、悪い犬じゃないので許してます。

 前に近所の人が鶏を一羽殺して脚の付いたまま持ってきてくれて、僕はそれを丸々

一羽塩と本だしを入れてゆでて一人でこっそり手づかみで食べてたら、スパイダーが

ウチの半開きの玄関からうらやましそうにこちらを見ていたので、骨を投げてやった

のがきっかけで、それから毎日来るようになりました。

 これからはスパイダーが来るとライトがついて用を足すには少し落ち着かないかも

しれないけど、まあ犬が用を足してる姿がライトアップされても誰も気にしないから

良いでしょう。

 近所の子供はしきりにウチの家の中をのぞいています。

 「お前の家には蚊取り線香があるのか?」

 ときいてきたので、

 「ウチはベープマットを使ってるんだよ」

 って言ったら

 「お前のベットの下に赤く光ってるやつのことか?」

 と言ったので驚いたらさらに。

 「今週に入って光ってないぞ!」

 と言ったのでびびりました。何で僕より知ってるの?って感じです。

 

 キッチンで一人でバリカンで髪を切っていたらドアに5,6人がへばりついて

見ていました。こっちはほとんど裸なので恥ずかしいのですが、子供の好奇心はそんなこと

は一切お構いなしです。 

 切り終わった頭を撫でさせてくれと言うので撫でさせると

 周りの子供に、

「凄いからお前も撫でてみろ!」

 と人の頭の所有権を勝手にもって行きます。回りの子供が遠慮すると

「大丈夫だって、犬と同じ感じだから!」

 と強引になでさせるのでこちらは苦笑いです。


夕方センサーライトがついたので子供も少しは警戒するだろうと思っていたら、

外が騒がしいので出て行ってみると。

なんとライト相手にだるまさんが転んだをやっていました。

 センサーライトは風が吹いて葉っぱが揺れたぐらいでは反応しないので、10人位

で横一列に並んで、ゆっくりゆっくりセンサーライトに向かって近づいていきます。


 そのうち誰かが早く動いてしまうと、センサーライトが凄い勢いで点灯して明るく

なります、みんなで

「お前だ!お前だ!」

と言って気が狂ったように大笑いしながらじゃれあっています。

 センサーライトは10秒ほどで消えてまた暗くなるので、その瞬間じゃれるのをや

めてまた全員で笑いをこらえながらセンサーライトに近づきます。でも一人が笑いを

こらえられずに吹き出すと、センサーライトがまた凄い勢いでついて全員で一斉

に大爆笑します。それを永遠と一時間くらいやってました。どんどん子供が増えて収

集が付かなくなって近所の大人がウラに迷惑だからやめなさいと言ってくれて、みん

な解散していきました。

 ちなみに三つ付けたセンサーライトのうちの一つはその日のウチに壊れてしまい。

事務所の人が首都にもって帰りました。

もう一つは次の日の夜にディスコのように点灯して近所に迷惑なので電源を切ってし

まいました。残ったのは玄関にある一つだけだけど、玄関が一番大切だから感謝して

ます。
 
 とまあこんな感じで今週も過ぎていきました・・・・

ネズミとの戦い


「絶対に外になにかいる!」


最近寝つきが悪いのに、やっと寝付いてすぐに起こされたのでムカつきながらも

懐中電灯もってキッチンにいってみたけど、おかしなことに外のセンサーライト

がついていない。
 
でも絶対何か気配がしたのにな?って思って外ばかり見てたらキッチンの中で

何かが走ったからビックリした。
 
ねずみがいた!慌てて蛍光灯つけたけど、こっちもどうしていいかわからない。

ねずみも慌ててこっちに向かって走ってきた。

「アウェー!!!!」

って変な声を上げてのけぞったら向こうもビックリして方向転換した。
 
慌ててハエ用の殺虫剤かけたけど、勝手口の隙間から逃げ出した、

でも勝手口は外の虫除けの網戸と二重になってるのでそのあいだに入ったみたいで、

ガラス戸越しにピョンピョンと飛び跳ねているのが見えたので隙間から

殺虫剤で再度攻撃した。
 おそらくでっかい殺虫剤の半分くらいを隙間から発射したら静かになったので

5分くらい次の作戦を考えながら心を落ち着かせた、心臓が凄い勢いでなっていた。

リビングからブッシュナイフを持ってきてドアをゆっくり開けようと思ったけど、

もしねずみが飛び出してきたら僕はこのブッシュナイフでどうするのかな? 

と思ったら必要ない気がしたけど、もしも飛び掛ってこられたら困るので一応右手

にもって左手でゆっくりとドアを開けてみた、

そしたら網戸の小さな穴からすでに外に逃げ出していて、ホッとしたけど

我に返ってみると、夜中に急に興奮したのと殺虫剤のにおいで目眩がした。

 とりあえず寝ないといけないとおもってベッドにもどったけど、

頭の中がねずみでいっぱいで眠れないし。もう一度キッチンに戻ってみた。

 キッチンの上とテーブルはねずみの糞が沢山落ちていた、気持ち悪いから床に

息で吹き落とした。乾いたらほうきで掃けばいいやとおもった。

でも桶に張っていた水とか、そのほか調味料とかねずみが匂いをかいだりしてた

のかと思うと、少し腹が立ってきた、そしたら極め付けに、今日250円で

買ったばかりの新品のスパゲティーの袋が食いちぎられていたので怒りが

収まらなくなって、益々眠れない、スパゲティーは食われているのと反対側から

ハサミで切って、綺麗な半分だけを移して残りは外に捨てに行った。

 バヌアツにしては高いなと思いためらいながら買ったスパゲティーなのに、

開封する前にねずみに食われるなんて本当に腹が立った。

その後一時間くらいしてからやっと寝付いたけど、次の日の朝寝不足でキッチンに

行って見たら、また新しい糞があったので、完全になめられていると思って

必ずしとめてやる。とおもった。
 
 次の日の夜にわなを作ろうと思って考えた、夜は水が出ないので鍋を洗うことは

出来ずその中の食べ残しを狙っていることはわかっていた。

 だから洗ってない鍋の中にゴキブリホイホイのえさを置いて、つっかえ棒を

つかって蓋を立てかけておけば、食べたときに棒に引っかかって蓋が閉まれば

大きな音が鳴るし、キッチンに走りこんで鍋と一緒に袋にぶち込んだあとに鍋を取

り出して袋を振り回して床に叩きつければ気絶して死ぬだろうし、鍋のまま火にか

けてやろうとおもった。残酷だけどそれくらい腹が立っていた。

 しかしなかなか良いつっかえ棒が見当たらない、お箸やスプーンは短すぎるし

バランスが悪い、でもお玉やしゃもじだと安定しすぎて引っかかっても蓋が閉まらない。

 そしたら名案が浮かんだ。

 昨日被害にあったスパゲティーはちょうど30センチくらいの長さでよい感じだ。

 夜中に懐中電灯を持って外に出て行って、ゴミの穴から夜露にぬれた

スパゲティーをもう一度拾ってキッチンに持ち帰りそれを10本ほど出して、

鍋の底に立てかけ、そのまま蓋のつっかえ棒にした。

 つっかえているスパゲティーの底ににゴキブリホイホイのえさを立てかけておけば

食べたときに確実に蓋は閉まるはずだ。自分って凄い!って自己満足してそのままねた。

 それから二日間その罠を仕掛けたが、ゴキブリホイホイのえさに反応しないのか

なかなか成果が上がらなかった。
 
 翌日にタンタンという足音がしたのでキッチンに攻め込むと案の定いた、

今度は流しの下に逃げ込んだので、落ち着いて入り口のドアを閉めて、

勝手口の下の隙間をシャベルでふさいでからブッシュナイフの先でゆっくりと

流しの扉を開けてみた。

そしたらすでにいなかった、どこかに逃げたのかと思ってそのほかも探して

みたけどすでにいない、よく見ると流しの下の水道管のパイプは丸いのに、

壁を四角く切ってパイプを通しているのでそのわずかな隙間から逃げているようだった。
 
 考えを整理すると、ねずみの入り口は勝手口の隙間と流しの隙間の二箇所だから

勝手口の下の隙間をスコップでふさげば逃げ場所は流しのしただけになる。

 だから次に突入したら一番に流しの下の穴をふさげば言葉のとおり

「袋のねずみ」

となる、でもキッチンの蛍光灯は点灯までに時間がかかるので、

それを待ってからふさいだのでは先に逃げられてしまう。

 左手に懐中電灯を持って右手に分厚いビニール袋を持って突入して一気に流しの

穴をふさぐことをイメージしてみた。
 
でもそしたら右手が使えないのでドアのノブを回すときに時間にロスが出るので

ビニールは最初から流しの下に置いておく。流しの扉を開ける時にもロスがでる

ので最初から扉は全開にして、殺虫剤の缶を立てて閉まらないようにしておいた。

そうすればもしブッシュナイフで届かないところに逃げ込まれたらとっさに

殺虫剤に作戦変更できる。前回の戦いで殺虫剤に効き目が少ないことは

わかっているが、相手にとって少しでも攻撃を加えることができればそれで良いのだ!

最後に流しの棚の右手にブッシュナイフを置いておけば、

右手で穴をふさいだ後にそのままブッシュナイフを握ってその後に蛍光灯を付ければ

後は一騎打ちとなるはずだ。
 
それぞれのパターンを一度シュミレーションしてみた。完璧である!

  次の日の夜タンタンという足跡が聞こえた。気持ちはすでに

「待ってました」である。

 昨日のイメージどうりに遂行したが、

流しの穴をふさぐ前にねずみが僕の足の前を走りぬけたので一瞬ひるんでしまって

穴をふさげなかった。

 反省としてはビーサンを履いていたのが一瞬の判断を狂わせたと気がついた。

もし靴を履いていればためらわずに蹴飛ばすことが出来たはずだ。

それから約1時間後、またタンタンという足音がする。

 今度はゆっくりと靴をかかとまできちんと履いた、その瞬間に心の中で

シャキーンという音が鳴った、ゆっくりとキッチンにちかずき左手に懐中電灯。

右手でドアのノブを開けて、一気に流しの下の穴まで走ってセットしてあった

ビニールを穴に詰め込んだ。その瞬間ねずみはビニールに突撃してすでに

そこがふさがっていることに驚いたあと、最後の一つの出口である、

僕が入ってきた入り口に走り出した。

しかしこちらはその行動は想定の範囲内(古いか)でねずみより先に扉を閉めた。

そしてドアのノブの隣にある蛍光灯のスイッチを入れた瞬間なぜか武者震いがして

「アオー」

と叫んだ。もう出口は無いはずだ!
 
アクション映画などの最後のシーンでそれまで長いこと武器を持って戦ってきた

二人のライバルが意味もなく武器を捨てて素手で殴りあうラストシーン

のような気持ちが心の中に沸き起こってきた!

 ゆっくりと流しの下にセットしてあったブッシュナイフを取り出し、

隅に逃げたねずみをやっつけた、そしたらそこに置いてあった使っていない

タイルがバリバリ割れただけでねずみはフロアーに逃げ出した。

そこで二発たたきつけた一発は当たったが致命傷ではなかったらしくもう

一発は床を直撃して火花が散った。

 三発目でやっとしとめた!

一週間の戦いが金曜日の夜に幕を閉じた瞬間だった。

 倒したねずみを見つめながら自分の高鳴る心臓の音を聞いていた、

ふっとわれに帰るとねずみの死体が急に恐ろしく感じられた。

 日本で素潜りの時にウツボと戦っていたら気がついたらウツボに突き刺した

モリの先が折れてウツボがモリの刺さったままこちらに向かってきたときには

相当驚いたが、今回はそれ以上に血が騒いだ。

 しかし離島で生きていく為にはこれくらいのことは出来なくては仕方ないのだ!

 先輩はラットポイズンで殺したら壁と壁の隙間で死んだので死体をとることが

出来ずに凄い異臭とハエで大変だったといっていたので、

やはりしとめるしかなかったと自分を慰めながら記念撮影のあと、

勝手口の隙間を塞いでいたスコップですくって、外のゴミ捨て穴に捨てに行った。

 これで今日からゆっくり眠れると思うとスッキリしたが逆に興奮しすぎて眠れない気がした。

 ということでそれが今週の出来事でした。
 

隣のクウィンティル


最近の悩みは日本語をどんどん忘れていくのに現地語はまったく頭に入ってこないことです。このままいくと二年後には頭の中が空っぽで、少し利口なサルレベルになってそうです。

調整員の人が麻酔銃持って島に来て、サルのように木に登っている僕を麻酔銃で撃ち落して回収して、鎖で繋ぐかオリに入れられて成田に輸送されることでしょう。

そしたら帰国時にはパスポートが必要ないね。

 
 現地に溶け込みすぎた隊員として、上野動物園か広尾のjica地球広場に展示されるかもね。


先日、モシスとクウィンティンという二人とも二歳くらいの子供が二人でなにか話しながらずっと遊んでいたのが可愛くて、写真を撮ってみました。

 次の日クウィンティンにその写真を見せてみると、自分が写っていることに気がつかずに、
「モシス!モシス!」
と大はしゃぎしたのでこっちがクウィンティンだよ。

と教えてあげたら理解できなかったみたいで、何度も教えたら、二歳なのに一人前に眉間にシワを寄せて、

「またウラがわけわからないビシュラマ語で話しかけてくる!」

 みたいな顔したので、

「今日は俺のビシュラマ語が悪いのではなくて、お前が間違ってるんだぞ!」

って思いながらもむきになっても仕方ないのであきらめました。


 でも次の日にモシスが父親と一緒に遊びにきたので、写真を見せてあげると
「クウィンティン!クウィンティン!」
と叫びながら嬉しそうにしていたので、やはりみんなおなじだな・・・
と反省しました。


 他の子供をとったときには、自分が背が高いことを知らなかったみたいで、
「俺だけ大きい!」
を連発していました。

 
ちなみにクウィンティンは隣の子供ですが毎朝ニワトリよりも早く泣きだして僕を起こしてくれます。そして庭でウンコをしています。

こないだウンコしているのを見かけてので観察してたら、こちらに気がついて、気まずかったらしく、オシリ丸出しのままズボンを抑えてユックリユックリと家の裏にいる母親の所に移動していきました。ちゃんとズボンあげてから行けよ!

ッて思ったけど、可愛くて仕方ありません。


バヌアツの子供は授業のはじめに4列横隊と作ろうとしてもそれだけで10分はかかってしまうので、授業のはじめはいつも大きな輪になって手を繋いでいます。

仲間意識が強いのでそうするとこどもは急いで教室から飛び出してきます。

 一、二年生は僕が手を繋いでいると、他の子がやってきて、繋いでいる手をチョップしたり、時には噛み付いたりして自分が繋ごうとするので、痛いけどうれしいです、

「僕にこんなに人気者になる資格なんてあるのかなー?」

なんて考えると、授業の前になんとなく目頭が熱くなって、泣きそうになります。 
そしたら急に繋いだ僕の手を引っ張るのでなにかと思ったら鼻水を人の手にこすり付けて二ヤーっと笑うので、気持ち悪くて高ぶっていた気持ちも一気にさめて、授業に集中できます。
 
 協力隊に応募したときには、小学校で教える自信がなかったので、高校とか大学とかで体育とトレーニングとかを教えたいと思っていました。

ちょうど一年ほど前に、小学校の巡回指導という要請内容を見たときには、一番苦手な分野になってしまったなー。なんて思っていたのに、今はすっかり小学校の先生です。
 
 こっちが苦手と思っていても子供はそんなこと気にしてないからいつの間にかなり切ってました、自分のいい加減さに助けられました・・・・ではまた!
 
 写真は中央がモシス、右がクウィンテルで左はウェンディです。