2010年2月23日火曜日

ワイルドな子供達


ウチにベランダには裸電球の街灯があるんだけど、そこには大きな蛾がよくたかっています。
 先日久々にでかいのが居るなって思っていたら、クウィンテルとエタ、ナッシー、ジョシュア、ティンティナのご近所三件の子供が瞬く間に集まってきてその蛾を素手で捕まえて、何をするのかと思ったら蛾の羽についてる粉をお互いの顔に塗りあってペインティングをはじめました。 
 そして
 「ヒョー!ヒョー!」
 とみんなで叫びながらジャンプしだしたので、やっぱりワイルド!って思いながらも気持ち悪いと思ってみていたら、僕が寂しがっていると勘違いしたみたいで
 「ウラにもしてあげよう!」
 と話がまとまったみたいでみんなで新しい蛾を必死に取り出したので慌てて家の中に逃げ込みました。
 
 「怖いのか?」
 
 って聞いてくるので
 「怖い!」
 と素直に答えたら大喜びでした。
 そしてわざと僕の近くに顔を近づけてきました。
 
 授業中にポケットから大きな芋虫が落ちたときに僕に見つからないように慌てて拾っている子もいました。
 やっぱり食べるのかなー?
 
 極めつけは幅一センチ長さ10センチ以上あるムカデが居たときです。
 首をバッサリと切り落とすと、残りの体の部分を自分の腕に乗っけて歩かして喜んでいました。
 ムカデの生命力にも驚きましたが、それ以上に子供達のワイルドな姿には驚きます、ちょっと刺激がきつい内容になってしまってゴメンナサイでもこのワイルドさ誰かに伝えたかったので・・・・
 
 写真の手前で思いっきりカメラにメンチを切っているのはエドウィリーくん若干3歳!警察官の息子です。
 凄い貫禄やっぱりワイルド!

僕の仕事


先週は首都に上がって体育のワークショップというか公開授業を二つやって戻ってきました。
 そして首都のインターネットで始めて自分のブログを見ました、離島ではメールの送受信が精一杯で見たこと無かったです。
 そしてブログを見たという母親から
「くだらないことばかり書いてないで仕事のことを書きなさい、読んでる人はお前が何のためにそこに居るのかわからないよ、もう一つは心配だからもう風邪は引かないでね!」
 
 と指摘されました。
 だから仕事の事書きますね!
 
 僕の仕事はイギリスのシンクタンクに「世界一幸せな国」と認定されたバヌアツ人達に
 
 「あの日本人の方が俺達より幸せそうだった!」
 
 と二年間で言わせることです。
 この調子だと来年には達成されます!
 
 と、ここで終わるとまた母親からメールが来るので本当の事を書くと
 
 バヌアツの「タフェア州における小学校体育の全体的な向上」
 です。
  
 日本にたとえると
 四国全土での小学校体育の全体的な向上です。高知、香川、愛媛、徳島です。
 こっちも結構壮大なプロジェクトです。そして基本的には僕一人で、
 僕の任地のタンナ島は人口4万人くらいだと思います。
 小学校は約65校、僕は州の教育省の配属でそのすべての学校で将来的に体育の授業が現地の教師達によって行われるようにして欲しい。ということです。
 
 教育省の年間予算は700万円、そのほとんどが人件費なので体育に関する予算は無し!もちろん算数も理科もすべて無しだから文句は言えません。
 じゃあどうするかというと、体育大会を開いたりワークショップをしたりするたびにユニセフやバヌアツ政府、時にはジャイカにレターを出して予算をお願いするという感じです。
  だから何か一つするにもスッゴク大変、ミーティングを開始すると同時に予算のレターをそれぞれに送って返事待ち、たとえば10万必要ならば3万3000ずつを三つのドナーにお願いします。その理由は三つにシェアしないと、何でウチだけに聞くの?ほかの二つにも聞いてるの?ってことになるからです。二つがOKなら残り33000が足りなくなるのでそれをいろんなところに掛け合ってお願いします。33000円なら自腹切りたい!
って思うこともあったけど、それはしないことに決めました。
 みんな勘違いするし、自分達の力でできないなら継続不可能だから今の時点ではまだする力が無いという判断をしています。(でもキャンセル続きで一年間で一つもできないくらいなら、そのくらいのお金なら何とかしたい!って思うこともあります。)
 もし二つのドナーが駄目なら今回はキャンセルしましょう!ということになって、OKしてくれていたドナーに謝りに行きます。ミーティングもそこで終わり、残念だったね!で終わらすのがバヌアツ流です。
 もう一つの問題はさっき書いたように僕の配属先は四国のようなところ、高知、香川、徳島、愛媛があり、そして日本と違ってその4つの県はそれぞれ言葉が違うんです。 
 もちろん共通語であるビシュラマ語というのがありますが、それは学校に入ってきてから習うもので、やはり言語が違えば文化が違いカスタムも違います。
 
 たとえば一つの県だけで体育大会を行うならその県のチーフ5人くらいにお願いして、現金は難しいにしても食事の用意や予算を作るための露店を大会中に出してもらったり、地域のお母さん達のお手伝いもお願いできるし開会式にはカスタムダンスを踊ってもらったり、豚や芋などを現物支給の「ミツギモノ」としてお願いできるんですが、4つの県合同となると、それぞれの県は自分達の県は独立しているという意識が高いので政府が勝手に決めた四国という単位では自分達は積極的に参加する気は無いということになります。
 だからそれぞれの県の先生達と頑張ります。でも電話がないし、ミーティングの会場まで来てもらうだけでも遠いところだと歩くと5時間もかかるので、それも大変、だからといってミーティングに来ないことを認めてしまったら組織は成り立たないのでやはり来てもらわないと困るし・・・・
 
 だから島全体で大会を行う時には日本人である僕の存在は大切です。僕がというよりその存在が大切なのです。
 一つの県の人たちが四国全体をまとめて大会をするとなれば周りの県は協力しないけど、「ボランティアの日本人が言っている!」
 という風に宣伝すればなんとなくまとまる。
 でも逆に組織力がなくってキャンセルするときも、すべて僕の責任
 「日本人がキャンセルしたみたい」
 ということになってしまいます。
 基本的にはそういったことをまとめるのが教育省に居る僕の仕事です。でも僕はそういった流れがわかってきたのも任地にきて10ヶ月たった最近になってからで最初は結構戸惑いました。
 
 あとは上司の出張の多さにも参ります。
 頻繁に首都(日本で言うと東京だね)からの呼び出しが会ってミーティングに行ってしまいます。
 教育省はスタッフ5人なのでトップがいないと仕事が停滞します、まあ今も僕にはあまり影響は無いですが・・・・
 だから何もかもがスロースローなのです。
 だから僕は教育省のオフィサーとしては何もできてないのが現状です。でも居るだけでも現地の人は嬉しいみたい。
 ちょっと悲しいけど居るだけで良いなら頑張って居るよ! 
 
 
 でもそれだけ2年間やっていてもおそらく何の変化も無いので、僕が積極的にやっているのは体育の巡回指導です。
 週に5校、午前中にまとめて8クラス分をやって戻ってきます。2学年ずつくっつけて45分を4コマです。
 2年間で何処まで回れるかわからないけど、遠回りのようでこれが一番効果的みたいです。
 効率よく組織を作って、って思ったこともあったけど今の僕の実力ではそれは無理、やっぱり地道な巡回指導が確実です!
 
 体育って大切なんだよ、って宣伝することが今は大切だと思っています。
 
 仕事のこと書き出すと長くなるので今日はこの辺で終わります。
 「ウラさんブログ長い!」
  って首都で散々言われたので・・・・
 
  写真は小学校ではなくて中学校の体育大会のミーティングの風景です。
  中学校はボランティア無しで自分達で二回も大会開きました。僕の担当の小学校は0回・・・・
  僕もアドバイザーとして参加さしてもらいましたが、赴任3ヶ月だったので言葉もわからずこれもやっぱり居るだけ、それでも喜んでくれるから
  頑張って居ました。  中学校は島に6校ほどしかないから60校ある小学校よりはまとまるのかな?
  僕も頑張ります!

悩んだらルーキー達に会え


今週は離島を離れて首都に居ます。
 新しく来た体育隊員と一緒に首都の学校で体育のワークショップ(公開授業)をするためです。
 僕の仕事は離島における小学校の体育授業の向上ですが、今回新隊員としてもう一人同じ職種で違う島に行くダイキ、現在首都の大学で今後バヌアツで先生達になっていく現地の学生達に体育授業を指導しているカイサンと三人で首都にある小学校で体育の授業を行うことによって今後のバヌアツにおける体育の授業の方向性を統一していきたい、というのが目的です。
 
 ということで今週は首都にあるジャイカドミトリーで生活しましたが、ダイキの同期は6名、現在バヌアツで約一ヶ月の現地訓練をしています。
 
 そこに僕が一人離島から来たので7名になってとても楽しかったです。
 新隊員は10ヶ月前に僕がバヌアツにはじめてきたときに感じていた、期待や不安、着任当初に悩まされる人も多い健康管理、(日焼けとか、下痢とかね!)などをすべて持ち合わしていて、でもそういった気持ちをすべて超越する情熱!を持っています。
  
 自分もこうだったなー、って思う事を沢山あって、この10ヶ月間の離島暮らしの間に少しずつ忘れかけていた情熱や大切な初心みたいなものを一週間の共同生活で沢山思い出しました。
 
 離島で胸が騒ぐときって学校の授業の最初に、生徒達が全力疾走で教室からグランドに居る僕のところに走ってくるときですが、今回はそれとはまた違う感覚を感じることができてよかったです。
 天気にも恵まれてワークショップも大成功! 
 首都の学校で算数隊員をしているセイコさんに
 「普段は生意気に見える子供達が、体育の授業をしている姿をみてやっぱり可愛いなーって思えた!」
 とお褒めの言葉をいただき、
 それぞれの学校の先生達もメモを取ってくれたり、縄跳びの授業に参加してくれたりでとても盛り上がりました。
 なんといっても現在バヌアツの小学校で体育の授業を定期的に行っている学校はほとんど無いので何をやってもウケル事は当たり前なんです   
 けどね。 
 
 ルーキー達の情熱と首都でのワークショップで気がつかないうちに溜まっていた心のアカみたいなのがきれいにはがれて心も体も充電完了です!来週は離島に戻って今回のワークショップでカイサン、ダイキに教わった新しい運動を取り入れて自分の生徒達を驚かしてやりたいです! 
 
 「悩んだらルーキー達に会え!」
 
 ベテランに悩みを聞いてもらうことも良いけど、時にルーキー達は自分の情熱を呼び覚ましてくれるかも知れないですよ!
 
 写真は新隊員たち、今週から続々とそれぞれの島や職場に旅立って行きます。今後の彼らの活躍を期待しています!

偉大な先輩隊員


派遣当事、タンナ島には僕ともう一人、小学校教諭(算数指導)隊員の先輩がいましたが、現職参加の教員だったので、1年8ヶ月の任期で帰国されました。
帰国前、首都に上がってしまうということで、二人で最後の晩餐しました。
先輩は昨年末にバヌアツの子供たちを日本のテレビ番組「30人31脚」に同行した隊員で、村人とも溶け込み、活動もとても順調、ビシュラマ語も良く話せて、僕から見れば偉大ですばらしい隊員でした。
最後の日、二人で、カバというお酒みたいなのを飲みに行って、その後二人で先輩の家の前で焚き火をしました。
二年間の活動を振り返って、最初の三ヶ月が本当に辛かったと話してくれました。
「言葉も話せず居場所も無く、授業も見てるだけで自分ではできなかった。俺は本当にダメだった・・・」
と語ってくれました。今の姿を見ると想像出来ない感じです。
「自分の前任者の方が偉大すぎて、俺は本当に辛かった・・・今でも村人に前任の人と名前を間違われると残念に思う・・・」
と冗談まじりに話してくれました。
前任者の方が帰国前に感謝の気持ちをこめて、最後だからとプリンターを使って村人みんなに写真を現像して渡していったらしく、自分が赴任したての頃は「日本人は写真を作れるんだろ」と言われ、「たかられてるのはわかっていたけど、居場所の無かった自分はそれでしかみんなとコミニケーションをとることが出来ずに、ひたすら写真をプリントし村人に配ることしか出来なかった。」

「物をあげることでしか村人とコミニケーションが取れないのであれば、プリンターだけあれば自分はいらないということに思え、自分が情けなく、本当に辛い時期だった」
としみじみと語ってくれました。でも今となっては全てが先輩にとっては良い思い出だったみたいです。
 
先日、自分も似たような経験をしました。

パソコン室みたいなところを過去に外国の援助で10台ほどのパソコンがあるのですが、いつも調子が悪く、その日もメールが送れずに待っていると、近所の子供たちがゲームをするためにそこにきており、僕の周りに集まってきました、僕はどうせインターネットつなげないしとおもい、パソコンに入っている写真を見せてあげました。
子供は喜ぶと思ったのですが、あまりにも違う日本の世界と、バヌアツとはまったく違うネクタイをしてる僕の姿をみて みんな黙ってしまって真剣な顔で見てました。

そのときなんとなく自分が良くないことしたなって思いました。バヌアツに溶け込もうとしてるのに、写真を自慢げにみせるなんてきっと気が付かないうちに自分に自信が無くなっていたのかも知れません。

でも後から考えると、僕にしても先輩にしても言葉でコミニケーションが取れない以上、最初は物で接していくしかないと思います。(手品が出来れば最高なんですが・・・)
なんとかコミニケーションをとりたくて、でも言葉では伝えられないから、物に頼る。
最初はそれでもよいと思いました。
いけないのは自分の語学の力の無さを棚に上げて、現地の人の生活水準がひくいとか、意識が低いからダメだ。などと自分ではなくて相手を攻めることだと思います。
あとはまだ現地で何もできない自分自身を攻めることも駄目です。
僕ら二人はそうは思わなかっただけ前向きだったと思います。
(僕はまだ必死ですが・・・)

 先輩の家と我が家は歩いて一時間はかかるので、その日は先輩の家に泊まり、次の日の朝に大量のジャイカのグッズ(防犯や工具、無線など)を引き継いで、二人で硬い握手を交わして別れました。

男同士だし特に何も語りませんでしたが、先輩も1年8ヶ月間一人で離島で暮らししてきたし、それ以降僕も今月末まで一人の離島になりましたす。

二年間活動したもののみに与えられる何かを先輩は持っている気がしました。
自分も二年後無事に活動終えて、その何を得られるのかどうかはまだわからないけど、帰りの道でなんとなく身が引き締まる思いがしました。
 
ちなみにバヌアツ人はなぜかデジカメ持ってる人結構いますが、うちの島にはカメラ屋はないので、みんなデジカメに写真が満杯になると、どうすの? ってきいてきます。
プリントして写真にしたら、消すんだよ。と言っても、プリントするところ無いから、みんな困っています。
「お前はどうしてるのか」
ときかれたら、パソコンに溜めてるから大丈夫と答えます。
ちなみに首都の島に現像しにいっても、一枚100円と結構高いので、現金収入のない村人は写真作れないと思います。現状はみんなデジカメが満杯になったら一番いらない写真を一枚消して、一枚撮るといった感じです。
実は、僕はその先輩からプリンターもらったんですけど、内緒にしてます。
まだプリンターに人気を持っていかれては困るので・・・・

写真はウチから歩いて一分のところにあるツリーハウスです。朝日に輝いて綺麗でしょ!
学校の敷地にあり特に誰かが住んでるわけではないです。タンナ島にはツリーハウスに泊まれるバンガローがあるらしいですが、そこには電話がないので予約不要?というか予約不可らしいです。
役に立たない情報でごめんなさい。
 
今タンナ島で一番ホットなミュージックはオゾンの「恋のマイアヒ」です。みんなノリノリでかわいいです!
 

真面目にマラリアのこと


授業中に子供にもらって食べたマンゴーで口の周りがかぶれました。枝の付いているほうと逆の方から食べないとかぶれるそうです。「マンゴーを食べたらマンゴーに食べられたんだ」と言ってバヌアツ人は大笑いしてました。
 
そして先週も書いたブッシュロープのツルです。やはり縄跳び代わりに使っていたブッシュロープはこれもまた漆科みたいで、握っていた手の親指とその周りがきれいにかぶれました。痒いです。寝てるときも痒いです。しかもかゆみ止めの飲み薬飲むと眠くなって仕事できません。だから朝は飲めないです。
毎朝口の周りと、手の周りにかゆみ止めを塗ってます。

足に小さな傷があると、そこにハエがたかってボイラーという病気になります。アフリカなどで、子供の足にハエがたかって膿んでるのを見ると思いますが、あんな感じです。(あそこまでではないけど・・・)
靴擦れで肌が荒れてるときにサンダルはいて外に出ると、一気にハエが寄ってきて攻撃します。だから少しの傷でもすぐにバンドエイドしておかないと、膿んでしまいます。
最初は乾燥させたほうが良いと思ってなるべくバンドエイドしないで置いたけど、やはりしないとボイラーになるので最近ちゃんと張ってます。

タンナにきて三週間、活動が運よく順調に行ってるとおもって喜んでたら、やはりそれなりの落とし穴がありました。三週間で二度目の風邪が待ってました。ちなみにバヌアツきて二ヶ月では三度目。
月曜日の午後になんとなく体がだるいなって思ってたんだけど、きっとかゆみ止めの薬のせいだと思って、水シャワー(水しかない)かぶって寝てました。
火曜日の朝も体だるかったけど、週に一度しかそれぞれの学校に巡回できないので、一週休むと、二週間あいてしまうことになり。薬飲んで何とか頑張っていきました。
午前中は涼しく曇っていたので何とか授業できましたが、午後はカンカン照りで、大声出すとめまいがしました。腰や間接も痛くて、耳の奥も膜が張ったみたいなって、自分の声が変な感じで聞こえてきたりして、フラフラしながら帰りました。
でもやっぱり自分で体育の授業をさせて欲しいと校長先生に頼んでやらしてもらってる以上は、休むのは気が引けるので頑張ってすべての授業を終わらせました。
 
返ってからはシャワーも浴びずに汗とホコリまみれの体のままとりあえず寝ました。
夕方おきても食事作る元気もなく、薬を飲みたいけど胃があれるのが嫌だったので、とりあえずビスケットを水で流し込むように食べて薬のみました。熱は7,5度だったので、まだ大丈夫だと思ってたら、夜の9時ごろには8度になってました。
「久々の8度だな」って思ってたら11時ごろには9度になってました。そのとき初めてマラリアかも。っておもいました。しかもそのときには相当頭がボーとしてて、体温を計りながら忘れて寝てしまい。次に起きて服を着替えようとしたら、脇の下に体温計が挟まってる状態でした。凄い汗で服をすべて着替えました。
その次におきたのは真夜中、今度はメチャクチャ寒くてしかも汗びっしょり。悪寒とはこのことだな、って思いながら、また洋服を全部着替えて、慌てて毛布に包まり、その外から真冬用の寝袋に入ってチャックを首まで閉めて、顔も寝袋に入れて寝ました。息苦しさより寒さの方が耐えられずそのまま眠りました。
 
朝方に起きて水を大量に飲みました。熱は8度に下がっていて気分も9度の時よりはましかな?って感じでした。ジャイカからもらった健康対策マニュアルみたいなのを見たら、高熱が出て、悪寒がして節々が痛くて、気分爽快になる。それが数日繰り返すのがマラリアです。って書いてあって、もしかして、今はその爽快期なのかな?っておもいました。
 
結局その日は仕事には行けませんでした。バヌアツで困るのは電話がないために、病気で仕事やすむと連絡なしで休んだことになるため、先生や校長に迷惑がかかることです。
「こんなに風邪引くんだったらもう少しゆっくりなペースで仕事すればよかったのかな? 結局みんなに迷惑かけてるな・・・信頼失うなー・・・」と思いながら反省しました。
 
でもその時点でもまだ8度の熱があり、お粥食べて薬飲んで様子見ました。でも熱は下がらず、めまいも凄いので、やはりこれはマラリアかもと思い、思い切って病院にいくことにしました。
そこで考えたのはもしマラリアなら、家に戻ってこれないかも知れない。ただでさえ靴や洋服、デジカメなどは盗まれることがあると聞いていたので、電気製品とお金を家のいたるところに隠して、もしこのまま入院しても大丈夫なように家のなかを整理しました。
お金は壊れたガスコンロの中に入れました。デジカメとパソコンは使ってない納戸のような部屋の押入れの一番上に下からは見えないような角度で隠しました。
洋服はバヌアツに来たときに入れてきた一番大きなかばんに知れて屋根裏に投げ込みました。
高熱で寒気とめまいと戦いながら家の中に物を隠すのはとても嫌な作業でした・・・
もうこの家には戻ってこれないような気持ちさえ起こりました。
病院にいって受付を済まして、1000円払って待っていると、先生が二週間以内にどこか旅行したか?とか最近蚊に噛まれたか?などと質問して。
その後血液検査をしました。中指の先に針を刺して、少しだけ血を採ってガラスの板に延ばして顕微鏡で見るみたいでした。
 
血を採って廊下で待っていると、隣に老人と孫がいました。
椅子などないので、みんなコンクリートの廊下に地べたに座っていますが、
「どうしたの?」
ってきいてくれたので、
「マラリアの検査して結果待ちです」
っと答えたら、孫もそうなんだよ。って教えてくれました。
しばらくして一人のお医者さんが戻ってきて、孫をゆびさして。
「彼、マラリア!」
と言って 三人は去って行きました。

廊下には僕が一人だけ残されました。
一人になると急に寂しい気分になりました。
もし自分もマラリアなら首都に戻るのかな?それともここで入院かな?って考えました。
やっと活動も順調になってきたのに、とりあえず一ヶ月は家には帰れないのかな?
誰も頼る人いないし、首都にどうやって連絡しようかな・・・・
自分は惨めなのかな?もし他の人だったらどう思うのかな?
などど考えていたら急に逆のことを思いました。
 
 「もし僕以外の日本人がタンナに来いてその人が僕の代わりに病気になって今の僕と同じ思いをして僕の代わりにここに座ってるとしたらそれは相当気の毒だな。だったらここにいるのが今自分でよかったな。」
「まあ別の人ならきっと病気にもならなかったかもしれないけど、それにしてもなんとなく人の役にはたててるような気がするな。」
 
「ウーン!こんな風に考えれてる僕は相当ポジティブだな!」
 
「この際マラリアになってたほうがもっと役に立ってる気がするかもな!」
などと馬鹿なことを考えました。 オメデタイ人間でしょ!
そう思うとなんとなく気持ちも落ち着き、二年間もあれば一度くらいはマラリアもなるだろう!と変な勇気がわいてきました。

そしてさっきのお医者さんが戻ってきて何か紙を渡しました。そこには何か汚い字で書いてあったけど、よくわかりませんでした。
マラリアなのかどうなのか教えてよっておもったけど、これをもって先生のところに行けというので持って行きました。
読もうとしたけど、僕の名前がテルヒロ ウラなのに、テルが名前でヒロが苗字になっていることくらいしかわかりませんでした。
 
でも先生が言うのは結果はネガティブでマラリアでは無いよ。ということでした。よく見たら英語でNEGAとかいてありました。でも血液中の何か(聞き取れなかった)が多くなってしまっているので、アンモキシ
ン?とかいう薬をもらって五日間飲みなさいということでした。抗生物質かな?
血液といえば 赤血球とか白血球とかしかないよな?なんて思いながら、ホッとして家に戻ってきました。なんとなく気が軽くなって、気持ちが落ち着きました。
家に戻っていろんな所に隠したお金やデジカメなどを苦労してもう一度もとの場所にもどしながらなんとなく良かったなー!って思いました。
 
「病気するのも活動のなかの一つだな」
などど綺麗ににまとめながら、この長いブログを読んでくれた皆様に感謝したいとおもいます。
おそらく同じ内容を日本の家族や友達に送ったら、みんな凄く心配するだろうし、何でそんな思いしてまで外国行くのか?って言われることでしょう。
特に母親は 「それ見たことか!」
と言うかも知れません。

でも病気しても、苦労しても、毎日活動終わって疲れて帰ってきてから水をかぶって体を洗ってスッキリした気分で「今日も暑いなかよく働いたなー」と一人でボーッとしてるとなんとも言えない充実間があります。日本で人と競争しながら仕事してたときには決して思えなかった気持ちかも知れません。
日本には無意識のうちに良いことしかメールしないような気がします。
ブログに書いたら同じだけどね・・・・
ごめんねお母さん親不孝で・・・・・
この先ほんとにマラリアになるかもしれないけど、覚悟しておこうと思います。
 
ちなみにマラリアが怖いとみんな良く言うけど、僕がきてからあった先輩隊員の話だと過去二年間バヌアツ関係者でマラリアになった人は居ません。それ以前は情報が無いのでわかりませんがもちろん亡くなった人も居ないです。もちろんジャイカと隊員達のきちんとした予防があっての結果だとは思いますが、なにも知らない日本で僕らが過剰に恐れているようなことは絶対に無いです。
バヌアツ人でもマラリアで死ぬ人はめったに聞きません。

写真は恥ずかしながら我が家です。古くて大きな家ですが殺人現場みたいとも言われています。
散らかってるのは病気の後だからではなく、だらしが無いからですゴメンナサイ。
ありのままを書くのがブログだもんね! ではではこの辺で・・・・

まじめにマラリアのこと

授業中に子供にもらって食べたマンゴーで口の周りがかぶれました。枝の付いているほうと逆の方から食べないとかぶれるそうです。「マンゴーを食べたらマンゴーに食べられたんだ」と言ってバヌアツ人は大笑いしてました。

そして先週も書いたブッシュロープのツルです。やはり縄跳び代わりに使っていたブッシュロープはこれもまた漆科みたいで、握っていた手の親指とその周りがきれいにかぶれました。痒いです。寝てるときも痒いです。しかもかゆみ止めの飲み薬飲むと眠くなって仕事できません。だから朝は飲めないです。
毎朝口の周りと、手の周りにかゆみ止めを塗ってます。

足に小さな傷があると、そこにハエがたかってボイラーという病気になります。アフリカなどで、子供の足にハエがたかって膿んでるのを見ると思いますが、あんな感じです。(あそこまでではないけど・・・)
靴擦れで肌が荒れてるときにサンダルはいて外に出ると、一気にハエが寄ってきて攻撃します。だから少しの傷でもすぐにバンドエイドしておかないと、膿んでしまいます。
最初は乾燥させたほうが良いと思ってなるべくバンドエイドしないで置いたけど、やはりしないとボイラーになるので最近ちゃんと張ってます。

タンナにきて三週間、活動が運よく順調に行ってるとおもって喜んでたら、やはりそれなりの落とし穴がありました。三週間で二度目の風邪が待ってました。ちなみにバヌアツきて二ヶ月では三度目。
月曜日の午後になんとなく体がだるいなって思ってたんだけど、きっとかゆみ止めの薬のせいだと思って、水シャワー(水しかない)かぶって寝てました。
火曜日の朝も体だるかったけど、週に一度しかそれぞれの学校に巡回できないので、一週休むと、二週間あいてしまうことになり。薬飲んで何とか頑張っていきました。
午前中は涼しく曇っていたので何とか授業できましたが、午後はカンカン照りで、大声出すとめまいがしました。腰や間接も痛くて、耳の奥も膜が張ったみたいなって、自分の声が変な感じで聞こえてきたりして、フラフラしながら帰りました。
でもやっぱり自分で体育の授業をさせて欲しいと校長先生に頼んでやらしてもらってる以上は、休むのは気が引けるので頑張ってすべての授業を終わらせました。

返ってからはシャワーも浴びずに汗とホコリまみれの体のままとりあえず寝ました。
夕方おきても食事作る元気もなく、薬を飲みたいけど胃があれるのが嫌だったので、とりあえずビスケットを水で流し込むように食べて薬のみました。熱は7,5度だったので、まだ大丈夫だと思ってたら、夜の9時ごろには8度になってました。
「久々の8度だな」って思ってたら11時ごろには9度になってました。そのとき初めてマラリアかも。っておもいました。しかもそのときには相当頭がボーとしてて、体温を計りながら忘れて寝てしまい。次に起きて服を着替えようとしたら、脇の下に体温計が挟まってる状態でした。凄い汗で服をすべて着替えました。
その次におきたのは真夜中、今度はメチャクチャ寒くてしかも汗びっしょり。悪寒とはこのことだな、って思いながら、また洋服を全部着替えて、慌てて毛布に包まり、その外から真冬用の寝袋に入ってチャックを首まで閉めて、顔も寝袋に入れて寝ました。息苦しさより寒さの方が耐えられずそのまま眠りました。

朝方に起きて水を大量に飲みました。熱は8度に下がっていて気分も9度の時よりはましかな?って感じでした。ジャイカからもらった健康対策マニュアルみたいなのを見たら、高熱が出て、悪寒がして節々が痛くて、気分爽快になる。それが数日繰り返すのがマラリアです。って書いてあって、もしかして、今はその爽快期なのかな?っておもいました。

結局その日は仕事には行けませんでした。バヌアツで困るのは電話がないために、病気で仕事やすむと連絡なしで休んだことになるため、先生や校長に迷惑がかかることです。
「こんなに風邪引くんだったらもう少しゆっくりなペースで仕事すればよかったのかな? 結局みんなに迷惑かけてるな・・・信頼失うなー・・・」と思いながら反省しました。

でもその時点でもまだ8度の熱があり、お粥食べて薬飲んで様子見ました。でも熱は下がらず、めまいも凄いので、やはりこれはマラリアかもと思い、思い切って病院にいくことにしました。
そこで考えたのはもしマラリアなら、家に戻ってこれないかも知れない。ただでさえ靴や洋服、デジカメなどは盗まれることがあると聞いていたので、電気製品とお金を家のいたるところに隠して、もしこのまま入院しても大丈夫なように家のなかを整理しました。
お金は壊れたガスコンロの中に入れました。デジカメとパソコンは使ってない納戸のような部屋の押入れの一番上に下からは見えないような角度で隠しました。
洋服はバヌアツに来たときに入れてきた一番大きなかばんに知れて屋根裏に投げ込みました。
高熱で寒気とめまいと戦いながら家の中に物を隠すのはとても嫌な作業でした・・・
もうこの家には戻ってこれないような気持ちさえ起こりました。
病院にいって受付を済まして、1000円払って待っていると、先生が二週間以内にどこか旅行したか?とか最近蚊に噛まれたか?などと質問して。
その後血液検査をしました。中指の先に針を刺して、少しだけ血を採ってガラスの板に延ばして顕微鏡で見るみたいでした。

血を採って廊下で待っていると、隣に老人と孫がいました。
椅子などないので、みんなコンクリートの廊下に地べたに座っていますが、
「どうしたの?」
ってきいてくれたので、
「マラリアの検査して結果待ちです」
っと答えたら、孫もそうなんだよ。って教えてくれました。
しばらくして一人のお医者さんが戻ってきて、孫をゆびさして。
「彼、マラリア!」
と言って 三人は去って行きました。

廊下には僕が一人だけ残されました。
一人になると急に寂しい気分になりました。
もし自分もマラリアなら首都に戻るのかな?それともここで入院かな?って考えました。
やっと活動も順調になってきたのに、とりあえず一ヶ月は家には帰れないのかな?
誰も頼る人いないし、首都にどうやって連絡しようかな・・・・
自分は惨めなのかな?もし他の人だったらどう思うのかな?
などど考えていたら急に逆のことを思いました。

「もし僕以外の日本人がタンナに来いてその人が僕の代わりに病気になって今の僕と同じ思いをして僕の代わりにここに座ってるとしたらそれは相当気の毒だな。だったらここにいるのが今自分でよかったな。」
「まあ別の人ならきっと病気にもならなかったかもしれないけど、それにしてもなんとなく人の役にはたててるような気がするな。」

「ウーン!こんな風に考えれてる僕は相当ポジティブだな!」

「この際マラリアになってたほうがもっと役に立ってる気がするかもな!」
などと馬鹿なことを考えました。 オメデタイ人間でしょ!
そう思うとなんとなく気持ちも落ち着き、二年間もあれば一度くらいはマラリアもなるだろう!と変な勇気がわいてきました。

そしてさっきのお医者さんが戻ってきて何か紙を渡しました。そこには何か汚い字で書いてあったけど、よくわかりませんでした。
マラリアなのかどうなのか教えてよっておもったけど、これをもって先生のところに行けというので持って行きました。
読もうとしたけど、僕の名前がテルヒロ ウラなのに、テルが名前でヒロが苗字になっていることくらいしかわかりませんでした。

でも先生が言うのは結果はネガティブでマラリアでは無いよ。ということでした。よく見たら英語でNEGAとかいてありました。でも血液中の何か(聞き取れなかった)が多くなってしまっているので、アンモキシ
ン?とかいう薬をもらって五日間飲みなさいということでした。抗生物質かな?
血液といえば 赤血球とか白血球とかしかないよな?なんて思いながら、ホッとして家に戻ってきました。なんとなく気が軽くなって、気持ちが落ち着きました。
家に戻っていろんな所に隠したお金やデジカメなどを苦労してもう一度もとの場所にもどしながらなんとなく良かったなー!って思いました。

「病気するのも活動のなかの一つだな」
などど綺麗ににまとめながら、この長いブログを読んでくれた皆様に感謝したいとおもいます。
おそらく同じ内容を日本の家族や友達に送ったら、みんな凄く心配するだろうし、何でそんな思いしてまで外国行くのか?って言われることでしょう。
特に母親は 「それ見たことか!」
と言うかも知れません。

でも病気しても、苦労しても、毎日活動終わって疲れて帰ってきてから水をかぶって体を洗ってスッキリした気分で「今日も暑いなかよく働いたなー」と一人でボーッとしてるとなんとも言えない充実間があります。日本で人と競争しながら仕事してたときには決して思えなかった気持ちかも知れません。
日本には無意識のうちに良いことしかメールしないような気がします。
ブログに書いたら同じだけどね・・・・
ごめんねお母さん親不孝で・・・・・
この先ほんとにマラリアになるかもしれないけど、覚悟しておこうと思います。

ちなみにマラリアが怖いとみんな良く言うけど、僕がきてからあった先輩隊員の話だと過去二年間バヌアツ関係者でマラリアになった人は居ません。それ以前は情報が無いのでわかりませんがもちろん亡くなった人も居ないです。もちろんジャイカと隊員達のきちんとした予防があっての結果だとは思いますが、なにも知らない日本で僕らが過剰に恐れているようなことは絶対に無いです。
バヌアツ人でもマラリアで死ぬ人はめったに聞きません。

写真は恥ずかしながら我が家です。古くて大きな家ですが殺人現場みたいとも言われています。
散らかってるのは病気の後だからではなく、だらしが無いからですゴメンナサイ。
ありのままを書くのがブログだもんね! ではではこの辺で・・・

衣装と道具編


最近いろんな国に派遣された友達の話を聞いて 民族衣装ってうらやましいと思います。だってバヌアツはただ脱ぐだけだからね・・・ 生まれたままに戻るだけで、とくに衣装というようなファッショナブルなものはありません。山に入ればおじいちゃんたちは腰に布を巻いたスカートをはいてます。
 「風呂上りかよ!」って感じです。
 
 そしてみんなブッシュナイフを持ってます。子供も大人もナイフ持ってて、木の 根っこに座って、暇つぶしに何かを削ってます。
 時には50センチほどもあるブッシュナイフで足のつめを削っている人までいて、 間違えて足の指まで切り落とさないかと見ていてヒヤヒヤします。
 
 しかもそのナイフでパパイヤやマンゴ、ココナッツなどをカットしてくれて、
「食べろ!食べろ!」
 と満面の笑みで勧めてくれるので、切り口がちょっとしょっぱい気がするけど、あまり観察すると失礼なので、なるべく見ないようにしてエイッと口に掘り込みます。
 (少し塩分がきいてる気がするかも・・・最近は多少の虫は有機野菜だから仕方な
いと思えるようになって来ました・・・)
 
 ジャングルの奥に行けば行くほどみんな原始的で、しかも食べ物も沢山あります。
 木の根っこに座って話をしていると、たまに上から大きなパパイヤやココナッツな どが風に吹かれて落ちてくるので、結構危険です。
 
 季節ごとに食べれる木の実が変わってくるから一年中飽きないんだ!って嬉しそうに説明してくれます。でもココナッツは一年間常に落ちてきます。
 良い香りのする木とか、タバコに出来る木とか、いろいろな木があって面白いで す。
 
 小さい子供はみんな素っ裸なので、かわいいです。
 
 今週で活動は二週目を終わりました。一週目は走ってばかりで自分も笛を吹くのが 疲れたので、今週は縄とびに変えました。子供の食いつきも良いです。
 しかし、縄跳びは学校にあるわけではなく、休み時間に子供に頼んで
「ブッシュロープをとって来い!」
 っていうと、5人くらいでジャングルに入っていって、簡単に10メートルくらい の木のツルを取ってきます。
 (今書いてて思ったけど、今週手首がずっとカブレ続けたのはもしかしてこのブッシュロープにカブレたのかも・・・・)
 汗をかくと手首が痒いです。

 バヌアツは月曜日と金曜日にマーケットがあって、そこでお肉が買えるのですが、朝に殺してそのまま小屋にブラ下げてカットしながら売ってるので、買ったときはま だ牛の体温が残っており、ビニール袋が暖かいです。(おそらく冬になったら湯気が 立ってそうです)
 二週連続でお昼には売り切れていたので、今週はどうしても欲しくて朝一番で買いました。久々に食べた牛肉は美味しかったです。
 
 まあ今週はこんな感じでした。来週は縄跳びしたらカブレるから他の事考えないといけないと気がつき、筆が進まなくなりました。
 
 来週はエッサッサだな・・・・
 
 ちなみに写真はお肉屋さんです。