今は1月31日です。1月8日に帰国して三週間が経ちました。最終回を書かないとと思いながらも日本にいると何となく書く気になれず。ダラダラと来てしまいしたが、ブログを今までブログを読んでいただいた方にきちんと挨拶をと思い最終回を書こうと思います。
となんか日本で書くと文面まで固くなりますねー!
バヌアツからシドニーで3時間の乗継をして、成田に着きました。15時間ほどでバヌアツから日本に到着、2年間こんなに遠く感じていたところにこんなにあっさり着いてしまうとはというのが正直な感想です。
バヌアツに持っていった靴4足はすべて日本で履けるレベルではなかったのでサンダルに靴下を履き。
バヌアツから持ってきたすべての長そでと長ズボンを朝の7時の成田空港で着込みました。
荷物を宅急便で実家におくって一緒に戻ってきた同期と別れて一人で成田エキスプレスに乗って新宿に向かう途中、千葉の田園と寒そうな外の景色を見ながら。
「オー!ジャパン!愛すべきわが故郷!」
と思ったのかどうかは三週間前だったので忘れてしまいましたが。帰りの飛行機の中でカンタス航空の人達に朝の4時に起こされてスクランブルエッグとクロワッサンを食べさせらて、自ら無理してコーヒーの2杯も飲んだので、なんか胃の中がおかしかったのは覚えています。
日本について最初に何食べた?とみんながきくので書きますが。それは母親の作ってくれたウドンでした。
本当はずっとJRの立ち食いソバを食べようと帰国前から心に誓っていたのだけれど早朝のスクランブルエッグで胃袋が時差ボケで食べる気が起らず、とりあえず家に戻りました。
2年ぶりに会った母親は最初は少し老けたかな?って思ったけど、それは朝早くて僕に起こされて寝起きだったからで、午後には2年前に別れた時と同じ顔に戻ってました。
っていうかみんな2年前と全くと言ってよいほど変わっていなかったです。それが驚き!人の顔って変わらないなー!というのが実感です。ちなみに僕は日焼けしてたので少し変わってました。
そして少しだけ寝てから母親に「蕎麦食べたい」っていったら蕎麦がなかったみたいで、出てきたのがうどん
でした。でもやっぱり美味かった。きれいに刻んである白菜やニンジン、シメジ、豚肉も素敵でした。
「やっぱりダシ文化は素晴らしい、親というものはありがたい」
とおもいましたが、なんか具だけみるとチャンポンにも見えました。でもおいしかったです。
母親の一言は
「ブログ見てたからあんまり2年間離れて感じがしないねー」
でした、このブログ役に立ちました。
話は戻って成田で感じたことは、行き違う人がみんな挨拶してくれないなー!ということでしたが。
なりた到着して10分くらいして気がついたことは、これだけ人が多かったらすれ違う人全員に挨拶してたら
生活が成り立たないからそれは当り前だ!というとでした。バヌアツの大自然のなかで、それぞれ一人で歩いていたときに出会った感動は、日本では無いことだろうな、と感じます。
それぞれの国にはそれぞれの生活のスタイルにあわせた相手に対する尊敬の表わし方があるものなのだと納得しました。
JRのホームで駅員さんが慌てて階段を駆け上がってきたと思ったら、道を聞いたお客さんに快速と急行で
乗り換えが難しいので気を付けてください。と親切に説明しているのをみて。
「やはり日本人というのは律儀で素敵だ!」
とも感じました。
不景気、不景気というので町は世紀末のようになっているのかな?って思っていたら意外と何も変わって
なかったしね。ネズミ食べてるバヌアツの人が見たら何が不景気なのかな?雇用削減っていっても全員無職な
バヌアツ人は何のことかわからないだろうな?
なんて思いました。ちなみにバヌアツの人はネズミは食べるものがなくて食べているのではなくて、なんとなく居るから捕まえて食べてるみたいです。
お寿司は食べたくて帰国後三日目に一人で回転寿司に入りました。サーモンとエンガワがおいしかったです。
帰国後3日ですべてが日本モードに切り替わりました。結構あっという間でした。
ウィンドウズのアップデートくらい早かったです。ウィンドウズ95だったのがXPくらいのレベルにはなりました。
病気で療養中の父親も僕の帰りを待ってくれていました。すでに結婚している姉も電話をくれました。
家族と同じ国にいることは安心するものだなー!とも感じます。
一年半前にブログが始まったころに言われた事は、
協力隊でバヌアツに配属が決まった人が、インターネットでバヌアツを調べるとマラリアがあるとか、人食い人種だなどと書いてあるので、辞退する人が多い、そういった間違った情報が先行しないように、現地で活動している隊員がブログを書くことが一番効果がある。
ということでした。そういえばぼくも派遣前はそういった情報に踊らされていたなー!
今思えばこの2年間マラリアになった隊員は一人もいなかったし、現地の人に捕らわれて食われた隊員もいなかったなー! などと笑ってしまいます。
そしてここで一つ懺悔があります。
100かいくらいブログを書いていて、一度だけ嘘を書いたことがあります。それは
「もう何も欲しがりません」
という題名だったと思います。
僕がマーケットであった現地の人に山奥に連れて行かれて食われそうになって必死に逃げて帰ってくる。
という内容だったのですが、僕は何を思ったのかその一回だけ妄想が止まらずに嘘を書きました。
帰国後に親戚の人から連絡があって、
「帰国したらあの内容が本当なのか本人に聞いてくれ」
と近所の人に言われてたんだけど・・・
ということでした。あれは嘘です。自分の中ではあれは三部作になっていて、コウモリの話と牛タンの話を
書いてる内になんかこの流れで面白いのが書けそう!って勝手に妄想してしまいました。
あの一通は嘘です、ゴメンナサイ・・・(コウモリと牛タンは本当です)
ブログを書いて良かったことは自分の気持ちの中でバヌアツの派遣が決まった人が来たくなるようなブログ、という気持ちが働いていたのと、これはジャイカの公式なブログなのだから、いい加減なことは書けないのだ!
という気持ちがあったおかげで、文章がとても前向きになって、書いているうちに自分の気持ちが整理できて
それを読み直すうちに、自分の活動も前向きになっていったことだと思います。
もし個人で管理するブログであったら、もう少し愚痴が連なっていたかも知れません。
活動に迷って軌道修正したいときに過去のブログを読み返すことがよくありました。
ブログの中には前向きな自分の姿が描かれており、読んでいるうちに心のブレが修正されていったこともあった
のかもしれません。また協力隊の隊員なのだ。というプライドが文章の中に反映されていたのかなー?
と帰国して読み返してみて感じることもあります。バヌアツが僕という人間を輝かせてくれていたのではないのかな?と感じます。日本の自分も輝かないとね・・・
とこれが日本にもどって三週間の隊員の心境です。
「今後個人的にブログを書かないの?」
って聞いてくれる人もいますが。今のところ考えていません。このブログも僕がメールとして首都の事務所に
送ったものを担当調整員がアップしてくれていたので、僕はアウトルックに書いていただけだったので。ブログの作り方もしらないしね。
今後はしばらく日本で教員をしたいなー!って思って就職活動中です。人生で初めて教員のまねごとみたいなことを2年間やらしてもらって気がついたことは、教育って今すぐに結果が見えるわけではなくって10年後とか20年後にジワーッと教え子の記憶の中にその先生から教わったことがにじみ出てくるのではないかな?ということです。協力隊の活動もおなじで、今の僕は2年前とは変わってないけど、10年くらいしたらなんとなくにじみ出るものだと思います。
半年、1年先の学力の向上は塾の先生に任せて、教員は10年先に効き目が出てくれば良いのかな?なんて思います。まあそんな呑気なことを言えるのは僕の専門が体育だからだとは思いますが・・・・
とこんな感じで最終回は終わりたいと思います。ブログに関する感謝の気持ちを述べだすときりがないので
一人に絞ると、バヌアツ事務所の調整員さま僕をワールドレポーターに選んでくれたことも、わけのわからない文章でもOKを出してくれたこともとても感謝しています。
青年海外協力隊 18年度2次隊 体育だった 浦 輝大
2010年3月8日月曜日
体育は重要じゃなかった

2年間の巡回指導が終わって今は首都で帰国の準備をしなが
ら、この2年間を振り返っています。
自分の2年間の活動には悔いも後悔もありません。もしもう一度
2年前からやり直し!っていわれても同じように悩み、同じように苦
しみ、そして楽しみたいと思います。
タンナを出発した時の事はまた今度書きますが、現在タンナ島の
家を引き払って首都で帰国準備をしながら、時々パソコンでタンナ
の写真を見たりして寂しく思うことがあります。
そして最近になって大きく胸に響いてきた言葉があります。2学
期に巡回していたポートレゾリューションのラッキン校長に言われた
言葉で、別れの挨拶で僕が
「僕の仕事は体育の価値を広める事で、巡回指導で今はみんな
体育の価値がわかったでしょ、僕はタンナ全体に体育を広めるのが
仕事だから、次の学期は他の学校へ巡回にいかなければならない
んだよ」
という僕のお別れの挨拶に
「ウラ、何でもう巡回指導に着れくれなくなるんだ、もちろん体育は
重要だけどそれ以上に、お前が毎週学校に来てくれて会えること
のほうが俺たちには重要なんだ」
といわれた言葉です。
また3学期に教えていたイキティの子供にも帰国の挨拶と僕には
後任が来るので彼が仕事を引き継ぐから大丈夫だよ、といった時に
「ウラ、俺たちはお前に会いたいだけなんだ」
と言ってもらえたことです。
そんなこと言われたら、いつまで経っても体育は広がらないし、技術
移転だって出来ないでしょ!
ってそのときは思ったけど、全てが終わって今考えたら、そこが日
本人としての僕の悪いところだったのかな?とも感じます。
仕事の為には自分を犠牲にすることは日本では美徳だけど、バ
ヌアツの人はそうは思って居なかったと思います。
なぜウラは仕事を優先させているのかな?体育なんかよりも人と
してもっと大切なものがあるのじゃないかな?
と思っていたのかもしれません。そこがわかっていずに、仕事優先
に生活している僕は不思議な存在だったのかもしれないです。
全てが終わって思えば仕事なんて、体育の普及でも、青少年活
動でも、村おこしをする村落開発普及でもなんでも良かったのかも
しれません。
仕事の肩書きよりもウラっていう自分をもっとアピールして、もっと自
分らしく振舞う事をするべきだったのかも知れません。
そこが日本人の苦手なところでもあり、自分の悪かったところなの
かな?とも感じます。
僕はボランティアという立場だし、州全体の体育の普及なのだか
ら公私混同しないで、全ての人に平等な立場で接するべきだとい
う気持ちが根底にありました、
でもやっぱり
「俺たちはお前に会いたいだけなんだ」
って言ってもらえてことは一生の宝だと感じます。
もちろん公私混同しない僕のスタイルを評価してくれる人も沢山居
ました。でも仕事の量以外に人として評価してもらえたことは心の
財産になると思います。
今までの人生でそういう価値観を知っていたとしてもこんなに強く
感じたことはなかったと思います。バヌアツで教わった一番大きなこ
とだと思います。
今は僕にそのことを教えてくれたバヌアツの人たちに感謝しています。
来年からは日本社会です。色々と悩むだろうけど、この経験は
決して忘れてはいけないと感じます。
写真は黄色いシャツなのでフランス語学校の4年生です。
英語学校はブルーのシャツを着ています。
一年生から4年生までフランス語にいて、その後に英語に転校す
る子供が結構います。先に英語から習うと、フランス語は難しくて物にならないそうです
あっさりだった最終日

タンナ島の最終日のことを書きます。
期待に反して意外とあっさりでした。僕がタンナを後にしたのは
12月6日です、その次の週から首都でバヌアツの協力隊員全
員参加の隊員総会があったので、それにあわせてバヌアツ出
国の一月七日よりも一ヶ月も早めに上京しました。
すでに11月末で学校も終わっていたので、仕事もなく、
お世話になった先生たちもあっという間に自分の地元へと散ら
ばっていきました。
なので公務員の多いウチの村は意外と静かで、僕が日本に
帰ると行っても、「クリスマスだけでしょ!」
って思っている人が多かったみたいです。そして総会の為に他
の協力隊員4名と一緒に飛行機に乗ったこともあり、空港で
会った人達も休暇で首都に行くだけだと思っていたみたいです。
飛行機に乗ってからの僕の気持ちを結構あっさりで、
「アー、これがタンナ島を見る最後なんだなー!」
なんて思いながらも、飛行機の席が通路側だったので、特に
自分の世界に入ることもなく、そのまま飛び立ってしまいまし
た。
それが僕のタンナ島最終日でした。
いらない洋服は綺麗なものは高校の校長のドネルに島を経
つ朝に持って行きました。
少し汚い服や靴などは僕が隊員としてタンナにきて巡回指
導を始めたときに、問題児の多かったコーナースクールの7,8
年生で常に気を使って僕を助けてくれたタイヨウ少年に託しま
した。
彼はすでに小学校を卒業して中学校に通っていたので今年
は直接授業をすることはなかったのですが、個人的にずっと友
達だったし、洋服を上げても周りの人に自慢するような子では
ないので、無理やりに押し付けてきました。
きっと今頃は6人いる男兄弟で分け合ってくれていると思います。
ガレージセールで村人に売るという方法もありましたが、自分
がタンナ島でお世話になった道具達が買われていくのは寂しい
きがしたので、2人の人に絞ってゆずる事にしました。みんなに
配らなかったのは、あげれた人とそうでなかった人が出来てしま
う事がイヤだった事と、みんなが家の殺到する事が怖かったこと
と、そのときにしなればならない別れの挨拶が苦手だった事もあ
ります。そのかわりに写真は50枚ほどプリントしてみんなに配り
ました。
冷蔵庫やその他の雑貨は後任のヨリ君に譲り、首都には30
キロほどで上がりました。冬服はないので日本に戻ったら大変
だと思いますが、荷物はなるべく少なくして帰国しようと思います。
それがタンナ島の最終日でした。感動の涙はなかったけど、
島を最後にする時はなんとなく誇らしげな気持ちになりました。
「出来ないながらもよく頑張ったなー!」というのが正直な気持
ちです。
残り一ヶ月は首都での活動の報告、表敬訪問、最終レポー
トなどで終わりです。ブログの内容も落ちも何もなくあっさりして
いてごめんなさい・・・・
写真のテーマは「夕日と少年」いつの間にか子供達は僕より
逆立ち上手になりました!
妊娠していますか?

昨年に巡回していたラムカエル小学校には、メリーと
ベティーという女性の先生がいて、2人とも体育には凄
く協力的で良い先生でした。
男子対女子でドッチボールをやっているとどうしても劣
勢になってしまう女子チームを助けます。
優位に立って調子に乗っている男子に容赦なくボー
ルをぶつけていきます。子供の頃から木の枝を投げてマ
ンゴーを落としたり、犬を追い払ったりしているのでコン
トロールは素晴らしく、形勢は一気に逆転して男子生
徒は狭いコートに逃げ惑います。
外野に入ると他の女子生徒から
「ギブ!」
といってボールを取り上げます。女子生徒の仕事は拾
ってきたボールを2人の先生に渡すことになりおかしな
チームワークが成り立ちますが、そうやって先生の役に
立てることがうれしいみたいで、率先してボールを拾います。
2人の先生がいままで自分たちを苦しめた男子生徒を
撃退することに声援を送ります。
僕の目標とする技術移転の形とは少し違うけど、ま
あ授業に参加してくれてるしこれはこれで良いのかな
などと考えていましたが、今年になって2人に会うと、
二人ともまだ0歳くらいの子供を抱いています。
ってことは昨年は2人とも妊娠していたということです。
バヌアツの女性は結婚するとアイランドドレスというか
らだのラインが見えない頭からスッポリかぶるドレスを着
るので、妊娠しているかどうかわかりにくいです。
「一緒にグランドに出て授業をして欲しい」
と尋ねたところ
「妊娠しているから無理」
と嫌な顔をされることもあるし、
おなかが目立って大変そうなので、妊娠しているなら
無理に授業に参加しなくても良いよといったら、
「妊娠はしていませんけど!」
と嫌な顔をされることもあるし、女性の先生の扱いは子
供以上に難しい事があります。
しかもバヌアツは妊娠することはそれほど珍しいことで
はないので日本みたいにオメデトウとかは言わないです。
世間話の中で
「妊娠してるの?」
って聞いたところ
「今、妊娠してるかどうかなんて私にもわからないわ」
と少し意味ありげなほほえみと共に言われて戸惑った事もありました。
20歳から40歳までの間に10人近く子供を産む人も
多いのでそういう感覚なのかもしれないけど、
僕にはよくわからない感覚です。 女性だったらそういう
感覚わかるのかな?
でももし妊娠してるの?って尋ねて
「ウラ、私に妊娠して欲しいの?」
って答えられたら新たな展開がうまれてしまいそうなので、
色々な意味で相手を選んで聞かなくてはと思います。
写真中央でグリーンのシャツを着ているのがベティー
先生で、その左はキンディーに通っている娘さんです。
キンディーの集会の時の写真です。
ピクニック!

「 ピクニック!ピクニック!
ユーミー ゴー ロング ピクニック! 」
バヌアツの公用語のビシュラマでは英語でいう
WE (私たち) は YUMI (あなたと私)
になります。 「ロング」 というのは前置詞の
TO なので、上の歌詞の海は
「さあ、俺達ピクニックに行こう!」
というかんじです。
11月の二週目に年度末のテストが終わって
三週目はピクニックに行きます、4週目は終業式
です、それぞれ1週間もしないでしょ!って思うけ
ど、それがバヌアツ流です。
残りの4日は何もしなくてもそれは良いのです。
今週はピクニックウィーク、来週は終業式ウィーク
なのです。
クラスごとに行きます、今日は4年生です。
1、とりあえず泳ぎます。
2、岩から飛び込みます。
3、水をかけ合います。
4、砂浜から助走をつけて全力疾走して波打ち
際で空中前転をします。
5、水中で友達の背中の上に立ってそのままジャ
ンプします。
6、沖にある足の付く岩まで遠泳します。
7、砂浜での逆立ち大会が始まります。
8、女子と男子に分かれて水中で石を集めて山
を作ります、お互いに相手の山から岩を取り
合ったりします。
9、11時に先生に呼ばれて昼食になります。ラッ
プラップとご飯、ツナ缶などをミックスしたぶっか
けご飯を平らげ、ココナッツジュースを飲んで、
パパイヤを食べてそのまま海に飛び込みます。
昼食は1時半にもう一セットあって、午前中に
残ったご飯とバナナ、パイナップルが用意されてい
ます。食事以外のときはほとんど海に入りっぱな
しです。
5時頃になっても日差しはキツイので男子は同
じペースで泳ぎ回りますが、先生とお手伝いの女
子生徒達が食事に使ったお鍋やお皿を海で洗
い終わると解散になります。
「ピクニック!ピクニック! ユーミー ゴー
ロング ピクニック!」
世界一綺麗な夕日を浴びながら
それぞれの家へと散らばって行きます。
早かった二年間

2年間の巡回指導とワークショップも無事に終わり、マレ
クラ島の帰りに首都に寄った時に買い物に行きました。
夏に向かいつつあるバヌアツでクリスマスセールに向けての
棚の配置換えやデコレーションが行われているのを見ると
季節の感覚がおかしくなりますが、買い物をしながらスポー
ツ用品などを見て、新しい授業の発想が浮かぶことは良く
あります。
たとえば高学年のキックベースに丁度良いのは3号級の
サッカーボールだし、フラフープは単に手に持って子供にくぐ
らすだけでも低学年は喜ぶし。
やわらかいスポンジのようなボールは低学年に最初にドッ
チボールを教える時に恐怖心無くてよかったりします。
いきなりバレーボールを使うとまだ3頭身くらいの低学年は
顔面にボールが当たる可能性が三分の一と高いです。
今回見てて興味を引かれたのはネットボールというバスケ
ットのような感じで、少しだけ違うという競技のボールで、
結構丈夫そうだし、滑りにくそうで良い感じでした。
値段も1200円とお手ごろです。
低学年用に買おうかな?っておもったけど、よく考えてみ
たら来年の授業が始まるのは2月からで僕は1月に帰国
するからいつ使うの?
って気が付いてしまいました。
「ウーン、この気持ちはちょっと切ないなー!」
クリスマスセールのお店の中で真剣にボールを見つめなが
ら思いをめぐらしている自分はおかしいな客だと気が付くま
でに結構時間が経ってしまいました。
でもあのボールがあったら結構面白い授業が出来るだろう
なー。子供喜ぶだろうなー、猿みたいに両足で飛び跳ね
て、手を叩きながら「キャッ!キャッ!」って奇声を上げてく
れるだろうなー!そのときはきっと鼻水全快だろうなー!
もうあの姿はみれないんだなー!
と往生際の悪い事を考えたしたが、買わずに帰ってきました。
振り返れば本当に楽しかった2年間だったと思います。
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