2024年8月9日金曜日

ムシパン


子供の頃に姉の幼稚園の見送りの帰りに母とパン屋によって

よくアンパンを買ってもらったんだけど。

 ある日アンパンを買ってもらおうと思って母に尋ねると

「今日はテルヒロはお腹が痛いからムシパンなら良いよ。」

といわれて。

「ムシパンてなに?」

と聞くと、これがムシパンだと母が教えてくれました。

その時母が指差したムシパンがたまたま干しブドウののった

ムシパンだったので、僕はてっきりこれは虫入りパンの事だと

勘違いして今日はいらないとことわったのだけど。 

それからずっと頭がこんがらがったままだったんだよね・・・・

 なぜそれを思い出したかというと、今日食べたパンが本当の

虫パンだったからです。

毎朝ベランダでコーヒーを飲んでるんだけど、最近パンも

食べていて

バヌアツのハエは動きが遅いので間違えて一緒に食べて

しまうのではと思ってパンを必要以上に観察しながら食べ

ているとたまに虫が入っているときがあります。

 焼くときに入っているのと、買って来てから入ったものとが

あるけど、そこはちぎって食べてます。

 今朝も注意しながら食べていたら虫がいたので、

そういえば子供の頃にムシパンって何だろう?

と考えていたことを思い出しました。4歳の頃の自分と会話

したような気分になったので嬉しくなったけど、

4歳の頃はそんなレベルで物事考えていたなー。

と思うと、近所のこどもがますます可愛く思えます。

子供から見てこんなところに一人で住んでる日本人って

どんな風に移るのかな?

最近タンナ島も少しずつ寒くなってきたので、日本から


持ってきて一度も着てなかったジャンパーを出してきて

朝パンを買いに行ったら、なんとポケットからクロレッツガム

が二枚も忘れられたままになって出てきました。

少し湿っていたけどていねいにはがして食べると久々に

日本の味がして懐かしく感じました。

 久々に着た服から懐かしいもの出てくると嬉しいよね。

先日は50円玉が出てきたのでバヌアツ人に見せたら

穴が開いてるのが面白いみたいで大喜びしてました。

 ちなみにバヌアツでみんなが着てるTシャツのベスト3は

ボブ・マーリー

デイビッド・ベッカム

50セント

です。あとはみんなぼろぼろのサッカーのユニフォームを

着てます。

 先日5歳くらいの子供が昔に中田と同じチームで

王子と呼ばれていた「トッティー」のユニフォーム着てたので

「オイ!トッティー」

と呼んだら先生が大笑いしました。
 
 そしてこちらはみんなあまり洋服着替えないので顔で


覚えるより着ているシャツで覚えるほうが早いこともわかってきました・・・・

 写真はウチの庭で雨水でシャワーを浴びている近所の子供です!


2019年1月12日土曜日

凄い人はいるもんだ

前にも書いたと思うけど、能力の高いスポーツ選手には2種類いる、
①自分はスポーツが得意なので、できない選手がチームの足を引っ張って迷惑だと感じる選手
②自分がスポーツが得意なので他の選手の役に立てることに喜びを感じる選手

①の選手は本人が本気で勝とうとしているのなら、そう感じるのは当然なのかもしれない。能力の低い選手のせいで自分のチームが負けてしまうはつらいし、自分は何も悪いことをしていないのに、他人のせいで勝てないのは我慢できない。

でもこの考えでプレーしていると、いつも他人のことが気になり、自分のプレーに集中できなくなるし、自分自身のモチベーションも下がってします。

そう思うと②の選手のほうが幸せだと思う、自分のモチベーションも下がらないし、周りからも愛される。

なぜそんなことを感じたかというと、今の上司がそういう人だからだ,仕事も早く、話も上手、そしてどんなことでも覚えている、記憶力が10テラバイトぐらいある人だからだ。

だから、ある意味怖い、中途半端な説明をすると、論破はされないまでも的確な指摘をされてしまう。

しかし、その上司は②の選手と同じで、自分が得意なことで他の選手(この場合は同僚や部下)の役にたてることに喜びを感じる人なのだ。

だからいつも楽しそうに仕事をしている、仕事でだす長期的な成果だけでなく、日々周りの人から感謝されたり、周りの人が成長していくのを見ているのが楽しいのだと思う。

なぜ、そんな人間になったのかが不思議だが、おそらくは

①正義感が強い事
②20代の苦労しなければいけないタイミングで苦労してきたこと
③同じような素敵な上司と一緒に仕事をしてきたこと
④本当に頭が良いこと

が理由なのだと思う、その上司の頭の中ではいろいろな世の中の出来事がリンクしていて、一つ情報を入れたら、それが過去の記憶のデータベースに繋がって、よい判断ができるようなプログラムになっているような気がする。

凄い人はいるもんだなーと改めて感じている今日この頃です。



2018年6月29日金曜日

武装解除⇒インフラ⇒教育


2013年くらいに居たアンゴラで、ある日生徒が僕に語ったのは
大統領かゲリラ側かは知らないけど、

「今のままの政治が続くのなら2年後にもう一度内戦を始める」

との発表でした。彼は

「ウラはその頃もういないから大丈夫!」

って何か自信ありげに言ってたけど、
2002年に終わった内戦から約10年、現在二十歳の生徒達が10歳の頃からやっと国が良くなって、10年間安定して教育を受けて、これから先生になって国に恩返しできるという時になって、また逆戻りなの?

多くのアフリカの国は、ヨーロッパから独立後、国内で誰が国を納めるのかで内戦が始まり、その勝者は自分達の国と国民を植民地のように扱う。
結局はヨーロピアンの真似をする新たな独裁者が生まれる。

結果的に、独立しなかったほうがましだったということになる。


また、血みどろの内戦が終わって、やっとのことで新政府が誕生した後の第一段階は

「武装解除」

みんなの武器を回収して、新たな内戦が起こらないようにする。

第二段階は

「インフラ整備」

町づくりが始まる、内戦で壊された橋、水道、道路、病院、学校、地雷撤去などを行って、効率よく生活できるように、町を整えていく。

それには10年くらいかかる。段三段階は

「教育」

義務教育から初めて、計画的、建設的に物事を考えることができる人を育てる、政治家でも教員でも今後の「国つくり」をきちんとできる人を育成する。

その人達が社会に出て実際に活躍して国が良くなるまでにかかる時間が20年から30年
第三段階まで行けば、そこで初めて独立と自立が成功したことになるのかも知れない、日本の戦後30年って第一次ベビーブーム、いまや団塊世代が30歳のときだよね。日本人は良く頑張ったのだと思います。


アンゴラは内戦が終わって10年、中国の技術援助とともにこの10年でインフラ整備が進んできています。女性や子供がやっと安心して暮らせるようになってきたのに、2年後に内戦はじめるのはあまり賢い選択ではないと思います。

もう少し我慢して欲しいと思います。

そして、もう一つの疑問はダイアモンドや石油をたくさん持っているアンゴラが今後順調に国力を伸ばしていったら、困る人達や国もあるのだと思います。

内戦が始まってアンゴラからの石油の輸出が不安定になれば、値段があがること間違いないしね。

そしてアンゴラが石油とダイアモンドを売ったお金で順調に成長していって、もともと賢くて真面目なこの人達が教育を受けて強くなることを恐れている人や国もあるのだと思います。

自分の国に資源がない先進国の国は、アンゴラのような国には常に不安定であってもらうころが大切なのだと思います。

だから国つくりがある程度成功してくると、反政府側に都合の良い話を提案してお金や武器を援助して、内戦を起こさすのかもしれません。

そうすれば第三国が介入できるビジネスチャンスがまた増えるわけだしね。

ものすごく奥が深くて、アフリカがいつまでも成長しなくて世界で問題視されている一番の理由はここにあるのだと思います。

それを操っているのは資本主義、物質主義でお金持ってないと勝ち組になれない、正義を叫ぶ貧乏な人は説得力が無く、いつまでも学ばない民衆はお金をもっている強いひと人と国の言うことを聞いてしまうのが現況なのだと思います。

そっちの事情もなんとなくわかるよね。

そう思うと日本の戦後の歴史は奇跡的だよね。

アメリカ一国が日本の面倒を見てきたからからかな?

それとも島国だし、資源とかないから利用価値がないと思われたのか、日本がまさかこれほど「物づくり」上手だとはどこの国も気がつかなくって、気がついたら自分達が買う側になっていてお金払わされていたのかもね。

日本人は、日本のそういった世界の中でもユニークな歴史をたどってきたことを意識しながら、他の国とかかわっていけたらと思います。

そしてそうやってアンゴラの利用している一部の人達に、

「アンゴラを利用するのは良くない」

と言ったとすると、

「何が悪いの、自国の利益考えるの当たり前じゃない、俺達は頭が良いだけだよ、国際社会ではそれが当たり前じゃない?

アンゴラ人には内戦を断る選択肢もあるんだしね、俺達は選択肢を増やしてあげているだけ、選択しているのは彼だから俺達悪くないよ」

ってあっさり言われるのだとおもいます。

ヨーロッパを中心とする「西洋文化」ではすでに何千年も前からそうやってお互いに駆け引きしあって歴史を作ってきたわけだから、それは汚いことでは無くって、当たり前なんだと思います。そういった国から見たらアンゴラみたいに、「幼い」国を外からコントロールすることは簡単なことなのかもしれません。 

アフリカの本当の問題はここにあるのかもね。

彼らにいわせれば

自分の国の国民に選ばれた政治家達がよその国の利益になることより自分の国の国民の利益を考えることは当たり前だものね。


今一緒にいる生徒達が2年後に兵隊ではなくて教員になって欲しいと僕は思います。

せっかく10年かけて育ててきた長期的に物事を考える事ができる人達なんだからね。

2018年1月8日月曜日

気合で早起きしようとするな

明日の朝は気合で早起きする!

と意気込んで大切な日の前日に夜更かししている人が居るとする。
そうやって意気込んでいても、人間の感情なんて一晩眠れば変わるものなので、布団に入って眠ってしまえば、次の日の朝には寝不足で寝坊してしまうのがオチだ。


頭の良い人が大切な日に早起きしたければ気合で起きようとは考えない、前の晩に早く布団に入るだけだ。しっかり準備すれば、当日に「気合」を使う必要はない。

こんな簡単なことがスポーツの世界でわかっていない人が意外と多い、しっかりと準備せず、「あすは気合で勝つ」と言っているチームが勝つことはまずない。

常勝チームは事前に準備をしっかりしているから、気合に頼らなくても普通に勝つことができる。

負けた結果(寝坊した理由)は気合ではない、準備不足だ。






スポーツ界から理不尽が無くならない単純な理由

コーチの中にはスポーツ界での理不尽について
「社会に出たら理不尽なことばかりだ、だから学生の頃から理不尽になれておくことは良いことだ」
という考えのもと、選手に理不尽なことを押し付ける人が居る、でも僕は思う、そうやって理不尽な扱いを受けて育った選手は、今度は理不尽なことを言う大人になる。
だから日本の社会から理不尽がなくならない。

社会で理不尽が多いと感じている人は、学生に理不尽なことを強いてはいけない、理不尽を知らない学生が大人になれば30年後には日本から理不尽は無くなる。

日本は成熟した国になり、理不尽なことを言わなくてもみんなが食べていけるようになった。今後は理不尽をなくすことでみんなが平等に幸せになれる社会をつくるべきだし、スポーツはそういった社会つくりに貢献しなくてはいけない。

東洋医学的コーチングと西洋医学的コーチング

大学のアメフトのコーチを4年間やって思ったことは、コーチングには、東洋医学的と西洋医学的の二つのタイプがいること、
チームを人体に例えると、東洋医学的コーチングとは、体(チーム)が病気になる前に先手を打ち、病気を防ぐ。(未病する)
これをできる監督やコーチがいればチームの勝ち負けに関係なく、常に健康で勝てるチームがつくれがつくれる。

西洋医学的なコーチングとは、何か病気(問題)が起こった時にその問題に対して対処すること、
例えば

・大量の怪我人
・いきなり大量の退部希望者が出た
・部員による暴行事件

これらのことは東洋医学的コーチングで考えると、未然に察知して対応すれば防ぐことができる。

例えば

・体を鍛えることだけではなくメンテナンスの知識を与える
・チームの方向が勝利至上主義になりすぎないよう気を付ける
・コーチ自身が選手に暴力的なアプローチをしない

などをすることによって未然に防げることだと思う。

コーチの中にはチーム内に問題が起こり、それを解決することが自分の仕事だと感じている人もいるが、本当に優秀なコーチは、未然に選手の気持ちを整えることで病気にならない(問題を起こさない)チームをつくっている。

これからのコーチングには東洋医学的な考え方が必要だと思う。

2017年7月31日月曜日




アウェーの移動中_ロサンゼルスの空港

日本のスポーツ界でのよく言われる気合、根性、理不尽について、2年間アメリカのプロリーグでの経験を基に書いてみたい。

今でも思うが、アメリカのスポーツ界にはそういう概念が無いのだと思う。

ちなみにハワイのプロリーグの練習はとても厳しかった、僕はアメリカのプロは合理的なトレーニングをするものだと思っていたが、実は日本の1,5倍ほどの練習量があった。

単に練習量だけではなく、ハワイの気候も僕にとっては大変だった。気温は30度ほどだが、ドライなので汗がすぐに乾く、しかも南太平洋の島風が常に吹いている。
要は信じられ無いくらいに汗をかいても、それを感じることなく、ずっと気持ちよく動くことができる。

だから気づかないうちに体から水分とミネラルが抜けてしまっている。連日練習していると、慢性疲労が溜まる。

それが日本人としてハワイでプレーして実感したことだった。


練習はとてもハードだった。
なぜこれほどハードなのかハワイの選手に聞くと、ハワイの高校で活躍した大きな体の選手は、みんな大学進学は推薦をもらってアメリカ本土に進学してしまう。
結果的に残った選手は才能はあっても体が小さな選手ばかり。本土のチームに勝つためには厳しい練習で鍛えるしか無い。
彼らには少なからず本土(アメリカ)に対する反骨心がある。それは、沖縄の人が本土の人に対して 持つ感情と似ている。

そんな厳しいハワイの練習をなぜ自分が乗り切れた理由は、コーチングの違いだった。

ハワイのコーチには日本のスポーツ・体育の基本にある「教育」という概念はない。
自分たちはフットボールコーチであり、規律やモラルを教える「体育の先生」という感覚は無いのだ。もちろんチームが勝つために規律やモラルが必要なときはキチンと伝えてくれる。

コーチの一番のモチベーションは
「選手の能力が向上してチームが強くなる」
ことにある。無理に教育者を演じない。

ちなみにヘッドコーチのキャル・リーはハーレーのバイクだ大好きで、オフになるとハーレーに乗ってノースシュアにツーリングに行っていた。

一度ノースシュアで見かけたので、次の練習で声をかけたら、嬉しそうにそのことを話してくれた。その時の顔はフットボールコーチではなく、ハワイの気さくなおじさんだった。

ハワイではいつも練習の初めに必ず、50ヤード10往復というメニューがあった、これは相当キツかった。シーズン途中に本土から移籍してきた選手でこのメニューが嫌で去っていった選手がいたほどで、練習前に憂鬱そうなその選手に、チームメイトがみんなで
「Don't be nervous!」
と冷やかしていた、彼は「ハワイはクレイジーだ!」
と苦笑いしていたが、次の週には居なくなっていた。

そのメニューの時にいつも自分が感じていたことは、コーチの声掛けである
7本目、8本目になるとすでに140キロもある大型の選手は顎があがって、スピードも落ちる、明らかに気持ちが負けた状態になる。

日本のコーチはこの状態を許さない。気持ちが負けている選手を許すと、チーム全体のレベルが下がると感じるからだろう。

しかし、ハワイは逆だった、そうなった選手に対しても
「グッジョブ!」「ハッスル!ハッスル!」
などとコーチが手を叩いで鼓舞するのだ。
すると他の選手もその選手を応援する。だからその選手も前向きに無心で走る。
結果的にゴールした時にはチーム全体に達成感が沸く。

逆に日本の場合、コーチが走りきれなかった選手に対して「もっと走れる」「最後までやれ」などと厳しい言葉をかける。
せっかくみんなで厳しい練習を乗り越えたのに、チームになんとなく後味の悪い雰囲気ができてしまう。

それが連日続くと、体の大きな選手は毎日みんなの前で恥をかくような気持ちになる。そしてだいたいは以下、3つのパターンになる。

◯真面目な選手は責任を感じて辞めてしまう
◯厳しく言われるのが嫌なので、一生懸命に走っている演技をするをするようになる
◯開き直っていくら声掛けをしても無反応になる

単純に考えると、140キロの選手も70キロ選手もお互いに一つの心臓と肺で体を動かすのだから、140キロの選手は70キロの倍追い込まれることになる。
日本のコーチは
「だから練習で追い込んで70キロの選手と同じに走れるように鍛える必要がある」

と考えているのかもしれ無いが、それでは選手がやる気を持続することはできない。

また、そういった選手を吊るし上げることで、他の選手の「自分はああなりたくない」という恐怖心を煽り、チームをまとめようとするにも間違っている。

また、ハワイのアジリティードリルではコーンを5ヤード間隔に置いて、色々なステップで前後左右に走る。という練習があった、練習が始まる前のコーチの指示はただ一つ
「みんなハッスル!」だった
その練習でチームが一番盛り上がるのは、バックステップをしている選手がハッスルしすぎて転んだ時だ。
日本のチームなら転んだ選手が出た場合、周りが冷やかすことが多い、本人も苦笑いする。それは日本人独特の気遣いのようなもので、無視するより、みんなで笑ってあげることでその場を和やかなものにする感覚だ。

しかし、ハワイは違った、ハッスルしすぎて、後ろ向きに転んだ選手に対して、チームみんなが声援を送る、(それはハワイ独特の野生的な掛け声であることが多かったが)チームが一番盛り上がる時がその習慣だった。

また、そこで日本と全く違うと感じるのは転んだ選手は全く恥ずかしがら無い事だった、もの凄く真面目な顔で立ち上がり、全力で走り出すのだ。

はじめは、負け惜しみで真面目な顔をしているのかな?
と感じていたが、そうではなく本人は大真面目だった。

ハワイにはそういった文化があった。だから練習に対してシラケた選手は居なかったし、指導者の顔色を見て練習をする選手もいなかった。

コーチも選手も同じ方向を向いている良いチームだった。





2016年5月6日金曜日

いつもここから②

先日に定時制高校で進路とバヌアツのお話をさせてもらう機会があった。

僕が高校を受験した25年ほど前には定時制というのは、少し訳ありというか高校に行くタイミングを逃した人とか、成績が思わしくない人が行くというイメージがあった、実際に僕も定時制を考えていた。

良く自己紹介などで

「僕は子供のころに全く勉強できませんでした」
というような人がいて、そういう人の経歴をみるとそれなりの大学に通っていたりするのを見ると

「なんだ、自慢したいだけか!勉強できなかった訳ではなくて、しなかっただけでしょ!」

とすこしがっかりさせられる。 自分がそうならない為にはどうしたらよいか?

生徒との距離を話を聞いてくれる生徒との距離を縮めるにはどうしたら良いか?
  
そういえば中学校の頃の成績表が卒業アルバムに挟まっていたな・・・・と思って出したらやっぱりありました。 吹田第一中学校3年2組の僕の成績表一番下を見てもらうと中三の三学期の5教科の成績の合計点が97点それぞれの科目が20点以下でした。 総合の10段階評価が①あり得ないよね。

中三の頃といえば、高校に行けるかどうかもわからなくて、周りの友達は受験勉強して遊んでくれなくて、だからといって自分が受験勉強するかといえば10分机の前に座っていると体がムズムズして続かなくて、自分はそれほど悪い人間ではないのに、なんで勉強ができないというだけで社会の中で居場所が無いのだろう・・・・ と冷静に考える前に漠然とした恐怖とか怒りとか悲しさとかがあって、何で生まれてきたんだろう、どういう意味があるのだろう? と毎日が絶望でした。
長期的な結果よりも目先の小さな面白さにしか目が行きませいでした。忍耐力も正義感も全くありませんでした。

そんな成績表おみんなに見せたら生徒との距離が一気に縮まりました。
というより最近の定時制というのは普通の高校制で驚きました。
普通に制服をきていて、年齢も高校生しかいませんでした。
でもそれから一時間みんな嫌がらずに僕の話を聞いてくれました。

25年前にまさかこの成績表が役に立つとは思っていなかったし、できればもう少し良い成績を取りたかったけど、生徒からの感想文に

「私も自分の居場所がなくってどうして生きてるんだろうと思います」
と書いてあったとき、やっぱりそれなりに僕の中学校時代にも意味があったのかな?
と思うことができました。

しかしそうなるまでに25年間、人生って不思議だなーと改めて感じています。

電車の中で考える正規雇用と非正規雇用

通勤の為に満員電車に乗っていて、正規雇用と非正規雇用は電車と似ていると気が付いたお話。

電車に座っている人は正規雇用、電車がどれだけ混雑しようと、自分から立ち上がらない限り、本を読んだり、居眠りしたり、ある程度は体力を温存しながら、目的地までは安心して到着することができる。


一方、非正規雇用の人は電車の中で立っている人、自ら選択して立っている人と、そうでない人が居ると思う。

たまたま自分の前の人が降りたので、その後に座れるラッキーな人もいるし、忍耐強く待っていてもなかなか座れない人もいる。

同じ空間で同じ目的地を目指しているが、この差は凄く大きい。

立っている人が座りたい時には、他の電車に乗り換えるという選択肢がある。しかし、電車に乗る理由(自分の人生の方向性)は自分の中で行きたい方向があって乗っているわけで、座ることが目的では無かったはず。

でも結婚して家族ができたり、年をとって体力がなくなってきたりして、多少自分の行きたかった方向と違う電車に乗り換えることもありかもしれない。

多少はローカルな方向に進む電車に乗り換えてみた、みんなが競争して席を奪う都会行きの満員電車よりも居心地が良いこともあるかもしれない。

そんなことを考えながら今日もつり革にぶら下がっています。




2015年5月16日土曜日

「歯車の一つ」は立派な仕事!

一球入魂、一戦必勝、と言う言葉に象徴されるように、スポーツは目の前の一瞬にすべてを捧げることが良いとされていて、今も私はその瞬間が美しいと感じていることには間違いはない。

しかし最近転職して、もっと上のレベルの物事を考えている人達と接する機会が多くなった、現場レベルのプレーヤーではなく、大きな組織を長期的に動かしているリーダー達で、今は一緒に居るだけで萎縮してしまう。

「今、救える10人より、5年後に救える10万人の命を救う」

その人達は実際に10万人の人が救われる現場を見ることも無いかもしれないし、直接感謝されることも無いかもしれない。でも確実に多くの人を救っている。

自分自身はまだまだそのような判断ができないから、つい目先の感情に振り回されて仕事をしてしまう。「体育会系」と呼ばれる人の悪い面でもあると思う。
長期的なビジョンを持つ人達は「気合と根性」を必要としないが、確実に結果は出している。

昔に親父が言っていた

一人の名医は年間100人しか救えない、その人が死んでしまえば誰も救えなくなる。しかし自分の技術を10人の弟子に伝えれば、10年後には年間1000人の人の命を救うことができる。

だから名医は目の前の患者の命を救うことだけを考えてはいけない。

自分なら治せる病気を弟子に任せたがために患者が亡くなってしまうこともあるかもしれない。
それは自分が最初に医師を志した「目の前に居る病気の人を助けたい」という気持ちと矛盾するかもしれない。しかし名医には名医の責任がある。後任を育てずにいつまでの現場で働くのはただの自己満足であり、無責任である。


自分は名医にはなれないけど、名医として働いている人達を近くで見ていると、これまで自分は現場しか知らなかったことに気が付かされます。

個人と組織は人生の永遠のテーマだと思いますが、これまで個人プレーしかできなかったですが、人生の後半に差し掛かり、チームプレーを学ぶことができ、勉強になってます。



2015年4月26日日曜日

100万円をプレゼントします。


先日にある学校の授業のお手伝いに行ったときに生徒の一人に質問してみました。

「100万円持っていたら嬉しい?」

生徒は急な質問に驚きながらも

「なんとなく嬉しいです」

と答えてくれました。その後に全体にも質問してみました。
みんな100万円があったらうれしいようでした。

その後に質問したことは

「同じ100万円だけど、みんなは最初に1万円しか持っていなくて、それが100万円になった場合と1000万円持っていたのが100万円になってしまったのでは、その100万円に対する考え方って違うよね?」

という質問、みんなは確かにそうだ、と賛成してくれました。

最初に質問した生徒に改めて聞いてみました。

「実は周りのクラスメイトはみんな1000万円持っている としたらその100万円について今と同じくらいに 嬉しいかな?」

それがわかるとやはり100万円では悲しくなってしまうようでした。

「幸せはいつも自分の心が決める」

 相田みつをさんの言葉に久しぶりに思い出しました。
 

 

 

2014年12月29日月曜日

最低で最高だった高校時代

ミノウ学園、大阪の私立の普通科で最も偏差値の低いといわれている高校。 

僕はそこに滑り込みで入学しました。

同じ中学から5人が受験、ミノウ学園からは2人は合格させます。と伝えられていたそうです。

そして担任の先生はワッキーとフルチンという僕と同じクラスの2人にはそのことを伝え、僕には、

「この受験を失敗したら公立で受け入れてくれるところはない、専門学校を視野にいれながらの高校受験です」

というアドバイスでした。

でもフタを開けたらワッキー、フルチン、僕の三人が受かっていて、僕もなんとか高校生になれました。 結構奇跡だね・・・・

ミノウ学園はミノウにたくさん猿がいたことからモンキー学園とか、あまりにも頭が悪いのでムノウ学園、ミノウ専門学校とも言われていたけど、それは専門学校に失礼だよね。

俺たちはなんの専門技能も学ばないものね・・・・


三年間の目標はとてもシンプルで「卒業する」でした、

46人で始まった我が1年8組は1年間で7名が中退、8名が落第でした・・・・

2年生からは進学コースと就職コースにわかれるのだけど、僕は迷わず就職コースを選びました。

そんなミノウ学園で僕はなぜかアメリカンフットボール部に入り、それから32歳まで16年間、飛んだり跳ねたりぶつかったりしていたわけです。

ちなみにチームは大阪府で最弱でした。そもそも人数が少なすぎました・・・

「危険な奴ら」 という名前で デンジャーズという名前が付いていましたが、その危険さは恐ろしい意味での危険ではなくて、

「危ない人達」という意味合いが強く、その危なさはフットボールでの危なさではなく、僕たちの私生活や人間性もしくはクラブの存続の危なさも含まれたものであったと思います。

もう一つの意味は、人数が足りなくて毎年公式戦を棄権するので 

「試合を棄権する奴ら=デンジャーズ」

という意味にもとられていました。

部室でたばこを吸ったり、麻雀をして怒られたりしていましたが、根はいい人達なので、ワキアイアイと高校時代を過ごしていました。


キャプテン ウッキー  

副キャプテン ワッキー 

コーターバック エゴ 

レシーバー リンダ

ランニングバック ジョージ

パンターその他のポジション 俺(ウラ)

という感じでした。

 

練習は意味もな厳しく、辛すぎて僕は高校2年生で176センチくらい身長があったのに体重が53キロとガリガリでした。

フットボール選手としてはこれもまたスーパー三流でした。


あれから20年以上。

卒業したのが18歳だからそれよりも長い時間が過ぎました。

僕らに麻雀を教えていたうちの親父も亡くなり、その他のメンバーの両親もそれなりに年をとっていく中で、俺たち自身もすでに立派なおっさん。

腹、白髪、加齢臭は増大し、髪の毛と年収は減少傾向

誰かがこの世から居なくなる前に一度みんなであって人生の反省会をしようということになり、みんなで大阪の温泉に行きました。


仕事が終わってからだから集合したのは8時、すでに旅館の晩御飯は終わっているので
スーパーで買い出しをして部屋飲みです。

ダイエーみたいなスーパーに行って、みんなでお買い物。

40前のおっさんが5人でカートを引きながら発泡酒をあさる姿はブログに書いている以上にミジメなのかもしれませんが、俺たちはそんなことはお構いなし!

みんなであの時のように集まることが楽しいのです。

人間関係の序列は高校の時のままなのが面白いです。

半額になったコロッケを見つけて喜んだり、うまい棒を大人買いできるようになったと感動している俺たち、刺身も半額、白米も半額、あげた魚のあんかけも半額、焼き鳥盛り合わせは30%だけどまあ買ってしまおう! 

餃子とたこ焼きは暖かい物が良いので駅前で売っていた作りたてを買おう。
などとみんなで楽しくお買い物。


「高校時代は人生最大の汚点」

と言った僕にすかさずキャプテン・ウッキーは

「イヤイヤ、人生で最も輝いていた時代だ!」

 と反撃そういえばそうだったな、あれほど居心地の良い場所は人生で始めてだったのかもしれません。自分の居場所と仲間が出来た時代でした。

人生で初めて自分がやりたいことと、安心していられる仲間ができた3年間でした。

やはり「石の上にも3年」でした、「自分探し」とか言ってすぐに部活を辞めなかったのは、勉強はできないからせめて部活は続けないと生きている意味が無い。

という劣等感があったことと、同じように頑張っている仲間が居たからだと思います。

本当に良い時代でした。みんなにはとても感謝しています。





美しくて幸せな人

TEDのプレゼンテーションで

白人のモデルのキャメロン・ラッセルさんが言っていた

 


 「モデルはコンプレックスの塊、私達は何の努力もしないで ただ単に、白人で金髪で細くてシンメトリー(左右対称)が美しいと いう最近の価値観に乗っかっているだけ、10年間モデルをしても何の技術も身につかない、単に友達に向かって笑顔で手を振るような ポーズを1日に200回も300回も行うだけ。才能のある人たちと働いても自分自身には何の成長も無い」

「いわば宝くじに当たっただけの人間」
と言って今いました。
  
そういえば宝くじに当たって逆に不幸になった人ってたくさんいると思います。

その理由は自分が努力しないで得た「物」対して自分に自信が持てないこと
もう一つは、周りがその人の「心」にではなく「お金」に集まるからです。

「僕宝くじに当たりました!」

と言っている人と食事に行って、割り勘になることは無いと思うのだよね。多くの人がその人に期待しているのはその人ではなく、お金なんだと思います。

食事の最後に「では割り勘で」にはできないよね
「宝くじ当たったというから、一緒に食事したのに、なぜ割り勘なの?」
ということになります。

綺麗なモデルやセクシーな女性も同じだと思います。

相手が求めているのはその人の美しさや色気であってその人の「心」ではないからね。
極端なことを言えば、巨乳をアピールしている女性に男性が食事をおごってその後にホテルに誘った時に女性が

「私はそういうつもりではありません」
と言ったらそこに少し矛盾がうまれてきます。
  
宝くじと同じ原理が働いて
「色気でアピールしてきたから食事おごったのに」
となるかも。
「お金があるっていうから食事に付き合ったのに割り勘なの?」
と同じ原理です。

そこで初めて相手が自分自身の魅力ではなくそれ以外のことで一緒に居てくれたことに気が付くと思います。

それに気が付けずに、いつまでも同じ間違いを繰り返している女性も多くて、
「私は魅力的なのにどうして幸せになれないの?」
となります。幸せになる方法をしらないよね。   

そのTVの中ではスケートの安藤美姫さんと、女優の吹石一恵さんがゲストで出ていたのだけど、安藤美姫さんが
「私も容姿だけに注目されて辛い思いをしたことがある」
とのコメントに対する吹石さんの回答は

「女優は綺麗なことだけが認められる理由ではなく、綺麗でない女性を演じることもあり、演じるということにおいて自分を磨けば成長がある」

ということでした。

それでいうと安藤さんのスケート選手としてのキャリアも決して宝くじ的な要素だけではなく、本人の努力があって成功しているのだから、自信を持ってよいのだと思います。
   
また同じように人に食事をおごるのでも、宝くじが当たって食事をおごる人には魅力を感じないけど、努力して一生懸命働いて成功した人がおごる食事にはきちんとした価値があると思うし、そういう人にはお金が無くても人が集まる器が備わっていると思います。
   
美人や巨乳や宝くじが当たった人がその「チャンス」をきちんと次のステップに繋げることができれば、それは幸せなことかもしれないし、単に自分が宝くじに当たっただけなのに、自分が特別な存在だと勘違いしてしまえばお金が無くなったり、美しさが衰え、自分より若い女性や、スタイルの良い女性が現れたら、自分は取り換えられてしまうことに気が付くことが大切です。

 

 

  

  

 


  



いつもここから




【写真は荒川の中学校でのキャリア教育のお手伝い中です】

大した選手でもなかったのに、大学を卒業後社会人でアメフトを続けようと思った時

32歳で引退して海外にボランティアに行った時その後に仕事を探していた時人生の岐路に立った時、追い詰められた時にいつも自分をワクワクさせてくれる原点がこの成績表です。

大阪の吹田市での中学校3年生の僕の成績表です。

写真では三学期の理科のテスト結果が24点を指しています。

ちなみに

国語 10点

社会 23点

数学 25点

理科 24点

英語 15点

5教科の合計点が97点です。

1教科で100点採る人も居るのにね。


これが中学校3年生の高校受験の時に僕の成績です。

見せるといつも

「大阪ではテストは30点満点なのですか?」

と言われます。

中学3年の担任の先生には、

「ウラ君の成績は同級生320人の中で300番目です、

だから私立の専願がダメなら学区外の定時制に行くか、

専門学校を視野に入れながらの高校受験になります」

と言われました。

母親に、将来僕に何になって欲しい?と質問したら

「何にならなくても良い、誰にも迷惑をかけない、普通の人間になってくれたらそれでよい。 」

と言われ、母親にとっては今の自分は普通の人間では無いのだな・・・・と感じたことを覚えています。

親にいくら反抗しても、自分一人で生きていけるわけもなく、

だからと言って頑張って机に向かって勉強しようと思っても教科書に何が書いてあるのかわからないし、質問の意味がなになのかもわからない。

普通のことが普通にできない自分自身を責める日と勉強ができない人間の居場所が無い日本の社会を責める日のウツと反抗の繰り返しでした。

だから人生に追い詰められて、岐路に立った時いつもこの成績を思い出します。

中学校3年生の時にはこの成績表は何の役にも立たないと思っていたけど、今の自分の出発点です。


2014年12月25日木曜日

世の中に貢献した人達への感謝の気持ち

 大学教授には定年が無いので、学生にアンケートを取り、結果が悪ければ引退して後任に譲るべきだという提案はいつも現役の教授達に却下されて、決まらないということだった。
しかしそれがこのたび無事に決まった、そしてその第一条件としてあげられたのは

「今いる教授にはそのルールはあてはまらない!」

ということ。 最初に聞いた時には呆れたけどその後にずっと考えていると、この判断は悪くないということ。

以下は私の妄想だから本当ではないけど

世の中には歯が3回生えかわる薬が作れなくは無いかもしれないしかしなぜその研究がなされないかと言うと、その研究を行うと全国の歯医者さんが仕事を失うのでタブーとされているとのことだ。
 
最近クリスマスでいろいろなところでイルミネーションが美しいけど、その時にふと思ったのが、LED電球は長持ちして環境にも優しいということだけど、そもそも本当に  優秀な人なら電気を使わなくても光る電球をつくることができるのではないか? 


ガンの治療だって、もしすべての癌に効く斬新な治療法が発見されたら、これまで日本の医療の中心だったガン治療に携わるすべての医学者が職を失ってしまう。

波の力だけでものすごい量の電気が発電できるようになれば原子力やガソリンを使って発電所のタービンを回す必要がなくなるので、ガソリンの価値は下がるし、それまで原子力発電に関わって働いてくれていた人達は職を失ってしまう。

世界がもっと平和になって軍隊はもういらないとなったら、軍事産業に関わっていた人たちは職を失うかもしれない。

だからあまりにも大きなマーケットで社会にインパクトのある発明に対しては暗黙の力で
タブーとされているのかもしれない。

日本のように転職が難しく、終身雇用で働いていると自分のいる業界が無くなってしまうことは生きるすべを失うことになるのだと思う。

でもそれが人類にとって良いことなのかというと長いビジョンでは自分たちの生活の首を絞めている。

本当に自衛隊のいらない社会ができたなら、自衛隊は解散するけど、これまで日本を守ってきてくれた自衛隊員の生活は今後もすべて社会が保障という判断が必要だし、癌の革命的な治療薬がつくられたとしても、これまで多くの人の命を救ってきた癌治療に携わる人の人生や生きがいは社会が責任をもって守るべきだし、そういう判断をしていかないと本当に良い社会にはならないかもしれない。
 
そう思うと大学教授たちが新しく作ったルールは素晴らしい決断なのだと思う。

今まで貢献してきた人達を追い出すのではなく、その人達の幸せもきちんと考えた上での判断ができる、そういう判断ができる人が出てこないかな?

最初は「えっ!」と感じた判断ですが、やはり大学教授は一歩先を進んでいるのかもしれません。

   

   

    

2014年12月21日日曜日

グローバル人材は誰?

 「グローバル人材」について先日に聞いた話

 以下の誰がグローバル人材かというと困るよね

 ・アメリカのスーパーでレジ係をしているメキシコからの移民

 ・いもと あやこ
     
 ・国際線のスチュワーデスさん( 言い方が古くてごめんなさい)

 ・5か国後を話せる人

 ・ニューヨーク株式市場で働いてるディーラー
 
 ・日本のユニクロで働いている外国人

 ・青年海外協力隊のボランティア 
 
 ・イチロー選手や本田選手

 ・宇宙人が現れた時に地球人代表として話せる人

 ・黒澤 明、村上 春樹

  どれも当てはまるようで、何か違うような気がします

  グローバル人材って誰だろうね?

  

 

2014年11月23日日曜日

それでも人は生きていく

自分を含めていろいろな人の話をまとめて作った作り話です。

 子供の頃から正義感が強く、優しい性格で、困っている人を助けたい。と大学を卒業して、社会経験を積んで、アフリカに国際協力のボランティアに行った人が居るとします。
地方の農村に入り、自給自足の生活をしている人達と一緒に暮らします。優しい村人に出会いそこが第2の故郷となります。

援助は必要だけれでも、そうでない事に関しては自給自足が成り立っていて彼らが満足しているのなら、先進国のライフスタイルに合わせる必要は無いということでした。
だって彼らはすでに何百年もそこで持続可能な生活をしているからです。

優秀だった彼は、そのまま国際協力の道に入りました。
45歳になり子供が二人、そのうち一人は体が弱く海外への転勤には一緒に行けません。
両親もすでに年金暮らしです。
 
そんな時にフランス語ができて農業が専門だった彼が人事異動で任されたのは、まさしく20年前に、自分がボランティアとして2年間お世話になったアフリカの第2の故郷で開発される大規模プランテーションでした。

その土地は土壌が良く、人口密度も低く、水も豊かな土地なので、日本と現地の政府に よって開発が進められようとしています。
しかし彼には一つ疑問がありました。

プランテーションが出来れば雇用が生まれて現金収入が入ると言われているが、彼らはすでに現金がなくても自給自足が成り立っている。
もしプランテーションで働けたとしてもそれは雇用主に使われるだけ、搾取される側になる。そしてもし何かの理由で働けなくなってしまったら土地を奪われた後では自給自足にもどれない。
   
過去の同じような状況を見てきた彼は、その計画に賛成できませんでした。
しかし周りの同僚に言われます。
「お前がやらなくても、現地の政府との合意ができている限り、誰かがやるだけだ。」
    
公務員は国の政策には逆らえません

結果的には20年前に自分を家族として受け入れてくれた人たちは、開発によって住む場所を奪われ政府にあてがわれた家に住み、プランテーションで働く労働者になります。読み書きのできない彼らには選択肢はありませんでした。

彼にとっても日本の家族を守るためにはその選択肢しかありませんでした。
そこで組織に逆らって、プロジェクトから抜けてしまえば、その後はさらに環境の悪い国への選択肢はありませんでした。
 
「自分の家族を幸せにできない人は他人を幸せにすることはできない」

ミスチルの歌にありました。
「夢追い人は、旅路の果てにいったい何を見つけるんだろう? 嘘や矛盾を両手に抱え、それも人だよって悟れるの?」

40歳になって思うことは、みんな正しいことをしているとは思っていなくても、家族を守るために頑張っている。
たとえ世の中の為に良いことではないかもしれないけど、自分に害が及ばない為にはとりあえずいま少しでも出世してお金をためておくことである、ということなのかもしれません。
そうやって準備しているうちに、いつか人生が終わっていくのかもしれません。
誰も悪くないのに、どうしてなのかと感じることがあります。
   
   



   



お勧めの婚約指輪の選び方

 
結婚指輪の金額を気にする人に対して感じることがある。

この人は宝石店に行って、自分の好きなデザインの指輪を 選んでのではなくて、指輪の値札を毎回ひっくり返して、

  「この指輪は素敵だけど、5万円だから、ダメ」

  「この指輪は私の好みではないけど、値段的には合格」

などと考えているのかな?と思うと結婚指輪の意味ってなんなのだろう?と思ってしまう。自分の気に入ってデザインではダメなのかな?

   


   
昔に太平洋の小さな島の誰もいない美しい海岸で自分の気に入った石を探した時には、値段なんて気にしないでその砂浜にある何億もの石の中で一番気に入ったものを自由に選ぶことが出来ました。いま思えばとても贅沢です。
   
同じように物を選ぶだけなのに、値段を気にしなければならないのは逆に悲しく感じます。
一番良い方法は宝石店の指輪の値札を全部外してもらって、床一面に指輪をランダムに並べてもらい、浜辺で石を選ぶように 一番自分の気に入った指輪を選んでもらうことだと思います。
その場合には女性が選んだ指輪がいくら高くても逆に安くてもそこは文句を言わずに男性はお金を払う。それが一番の指輪の選び方だと思います。
そのほうがロマンティックだと思いますが、どうでしょうか?

2014年11月18日火曜日

平成32年東京オリンピック

名刺の渡し方について話していて

相手より下に出すとか、
もらった名刺は基本的には机の上座に置くとか

話し合いが終わった時には床に置いた鞄にしまってはいけなくて、

鞄を腰より上に持ち上げてからしまうほうが良いとか、

日本はやはり面倒だなー、って思ってしまいました。

もし自分が営業マンで、自分の先輩がそういうのを凄く気にする人でお得意先を回った後で、

「お前はそういうことが出来ていないから仕事が取れないのだ!」

と言われたら、結構嫌な気分だろうな・・・・ と感じました。

自分だったら名刺の渡し方より営業している商品の良さと金額がまず第一で

その次に営業マンが信頼できる人間かどうかが大切だと思うからです。

逆を考えると答えは簡単です。
商品が悪くて、金額が高いものを、営業マンが信頼できるからと取引を続けることは持続可能性はありません。
   
 まあバランスが大切だとは思いますが。
 
外国人にとってはペコペコして名刺を渡すことよりもきちんと相手の目を見て握手するほうが大切だそうです。
       
そうやって考えると日本のビジネスの文化は少しずつ変わっていくではないか?
と思います。

たとえば印鑑を使うかサインをするか?

外国人の研修生を受け入れている職場の上司が言っていたのは

印鑑よりサインのほうが良いこと

「デストラーデ」「メッセンジャー」「ゴンザレス」とか明らかに印鑑作りにくいし

たとえば ドーランド・パパ というアルバニア人が 

印鑑を「父」としてもOKなのか? 「葉葉」のほうがわかりやすいのか?

そういうことを考えると印鑑よりサインのほうが良いのでは?

と思ってしまう。   

また山田、鈴木、中村さんの印鑑は本人の了解さえ取れば他人の印鑑をいくらでも代用できてしまう。
 
もう一つは和暦と西暦、

海外でお酒を買おうとして、IDの代わりにドライバーズライセンスでも良いと言われたけど、日本の免許書だと僕の生年月日は昭和49年となっていて、

「お前は絶対に1949年生まれではない。」

と拒否されたことがありました。
     
しかも現在は平成だと26年、西暦だと2014年と表示だからこの2年差はとてもややこしく、年に数回「今って平成24年だよね?」と思ってしまうこともある。

例えば、お金への印刷はいつまでも日本らしく和暦にしてもらいたいけどもし今後移民などを受け入れていくなら西暦に統一しないと履歴書とかみんなバラバラになってしまうと思います。

「2020年東京オリンピック」とはいえるけど

「平成32年東京オリンピック」となるかどうかは今はまだわからないしね。

 年度の途中で年号が変わるのも外国人にとってはわかりにくいと思います。

 日本のアイデンティティー、文化として残すと事

 世界基準に合わせていく事のバランスは大切だと思います。

2014年9月29日月曜日

気合、根性は34%で良い論

巨人の星から始まる日本スポーツ界の

 「気合と根性論」について 

野球の日本シリーズや高校野球の決勝、オリンピックの柔道決勝、相撲の優勝がかかった大一番では最後の最後に勝負を決めるのは「心・技・体」の「心」の部分であり、「勝つことへの強いきもち」だと思う

だから勝利インタビューで

「最後は気合いで勝ちました」

というコメントは間違っていない。

日本シリーズで勝負を決めるホームベース上でのクロスプレーではホームに突っ込んでくるランナーと阻止しようとする


キャッチャーは激しくぶつかるし、高校野球の最後のランナーは一塁ベースに向かってヘッドスライディングする。

ロサンゼルスオリンピックの柔道の山下は怪我をしながらも決勝戦に出場し金メダルを取ったし。

勝つだけで無くて人としての生き方も横綱には求められる相撲も科学的トレーニングよりも昔ながらの根性論が好きだ。

相撲に関して言えば、もし海外にも広まってオリンピック競技になれば、もっと相撲を精神論を打ち破るようなトレーニングが外国で開発されて、日本選手が勝てなくなれば

日本の相撲界にも新しい考えが広まるのかもしれないけど、日本だけでしか行われていないので、しばらくは変わらないのだろうな。と思う。

何となく日本人としては相撲だけは変わってもらいたくない気もするし・・・


(もともと太った人しかできないスポーツということで自分がその競技に参加するという意識が全くないから他人事なのかもしれません。)


相撲で少し脱線したが、日本シリーズの決勝や高校野球、柔道などのインタビューを見て感動した指導者や選手が

「やはり気合いと根性だ!」


と勘違いして、高校野球に一回戦から一塁ベースにヘッドスライディングさせたり、肉離れをしているふくらはぎを引きずってまで柔道の練習をさせたりしたらどうなるだろうか?
あくまでも最後の最後は「気合と根性」なのであって、高校野球の一回戦から「気合と根性」で勝とうと思っているようなチームが高校野球の地方予選から勝ち抜いて決勝まで行くとは思えないです。
  
やはり「心・技・体」

   「心」 気合、根性 33%

   「技」 テクニックや戦術 33%

   「体」 持久力やその競技で必要な筋力 33%

が必要であり、最後の1%が気合としても「気合」は34%くらいでよいと思います。

イチローがよく日本人のインタビューで


「やはり最後は気合いで打ちましたか?」

と聞かれて

「テクニックで打ちました・・・」

と答えるのは当たり前なのだと思います。

「心・技・体」のバランスは競技にとっては大切なことです。