2010年3月5日金曜日
一年住んで思うこと④(幸せ論)
僕は松下幸之助の本が好きでバヌアツにも何冊か持って来てます。
心の豊かさとは何か、日本人として今何をすべきかなどが書いてある、戦後の日本の発展のバイブルだと思います。
でも最近感じているのは日本人の満たされるべき心の豊かさは戦後70年近くたってすでに満たされてしまって今は満たされるべき豊かさのコップからあふれ出してしまっている状態なのかもしれません。
豊じゃなかった頃は500円の晩飯でも上手いと感じていたのが、少し豊になって1000円となり、3000円となり、今は毎晩5000円くらい。もちろんたとえとしての5000円だけどね。
人の豊かさのコップは5000円ですでに満杯になっているのに、さらに日本人は豊になりすぎて毎晩3万円のフルコースを食べないと食欲がわかない状態になっているのかも。
でも基本に戻って食欲はどこから生まれてくるのかと考えれば、毎日一生懸命働いて体を動かせば500円の食事でも十分満足できるように神様はバランスよく人間を作ってくれてるはず。
でも今の日本は豊になりすぎて、お腹が減るまで一生懸命に使命感を持って働ける仕事が何かがわからなくなっているのかも知れません。
だから普通に生活していたら人生危機感がなさすぎて食欲沸くほど一生懸命に働く気がしない、その心の隙間みたいなものを高
級なもので満足させようとしている。
その結果満足するためにはますますお金が必要になる。そしてみんなの気持ちは楽して稼ぎたいになってしまっている。
そう考えるとバヌアツ人から学べるところはたくさんあります。バヌアツ人は昔から食べるものにも困らず毎日の生活に満足して生活してきたから心の豊かさを持って生活してきた歴史は日本より相当長いです。だから成金主義になることは無いんだよね。
ちょうどお腹が一杯になる程度の心の豊かさに昔から気が付いていてバランスを失わずにずっと続いている感じです。それ以上も求めないしそれ以下でもない。日本で言えばみんな毎日500円の食事で満足してるかんじです。
でも日本は500円の人より30000円目指している人の方がすばらしいと考えられてしまうし実際に毎晩30000円食べたい人は能力さえあればそれが出来るような社会の仕組みが出来てしまっている。
そういうのはもともと日本人の文化ではなかったと思います。日本人には武士道があってなんでもホドホドにたしなむ事が良いと思っていたからね、でも戦後に西洋の社会に圧倒されてこの70年で少しだけ日本人のアイデンティティーを忘れてしまっていたのかも。
でも人間は普通500円の晩飯食べたらとりあえず満足なはずだよね。
戦後に一生懸命頑張って国民みんなが500円食べれるようになった時点で仕事に対する新しい価値観や目標、使命感が必要だったんだけど、経済の発達の勢いが良すぎたのともともと真面目でなんでも極めようとする日本人の気質や何でも一番主義のアメリカと一緒に頑張ってたせいで気がついたら日本人としての平均のバランスが崩れて欲張ってお腹壊すくらいまで食べないと満足しなくなってるひとがおおくなちゃってるのかもね。過食症だよね。
バヌアツの人々はもともと心が豊なのであれば、すでに結果がでてるから最初から頑張る必要はないということになるよね。無理やり西洋社会にあわせようとして途上国なんて呼ばれるのは迷惑だよね。
日本人は思う一度
「たしなむ心」とか、「謙虚さ」
「つつましい生活の中にある幸せ」
みたいな気持ちを思い出す時なのかもね?
バヌアツに来て気が付いたけど、日本て物質的にも精神的にも絶対に世界一だと思います。
建国200年のアメリカよりも圧倒的に深い文化や伝統があるしね。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿